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溢れた涙の理由を探った時に気づいたこと

先日、夫に自分が聞いたラジオの内容を説明している時に、なぜか涙があふれてきてしまいました。声が震えているのを抑えるのに必死になるほどでした。

最初はその理由がわからなくて、自分の感情の動きに戸惑いました。
なぜここで涙??

ちょっと時間が経って理由がわかった気がします。今日は、それをここに吐き出させてください。

とある中学受験生の物語

先日、聞いていたvoicy。
中学受験の本番中、時間が余った時に見直しをせずに祈っていたと話す受験生に対して、塾の先生がかけた言葉についてのTwitterから考えたことを、パーソナリティーの尾石晴さんがお話ししていました。

受験した3つの学校すべて不合格となったものの、3校とも補欠合格。その結果50万円を余計に支払うことになったという受験生に対して、塾の先生が「よく見直しをしておけば50万円は払わなくても済んだはずだった、だから見直しは大切」と注意したという話がTwitterで流れてきたのを見た、というところから始まります。

それを見た晴さんは

・小学生が見直しできないのは成熟度が追い付いていないという一面もあるのではないか
・子どもは「祈っていた」と話していたけれど、実際本当にそうなのか。小学生ならではの強がりもあるのかも

と考えた、とまとめていました。
その他にも共感ポイントがあったのですが、最後の部分がとても心に残っています。

子どものテスト時間の態度や、親が余計にお金を払ったという事実よりも、子どもがそこまで挑戦できる環境はすごく恵まれているということなのではないか。
子どもに対しては「自分が周りの人に支えてもらっていて恵まれてる」そのことに気づかせることが大事。


こんな感じで締めくくられていました。

何も考えずに話し始めてしまった!

実をいうとその話をしていた時間は、ちょうど我が家の中学受験生が本命校の受験本番中でした。

夫は私の隣の運転席でハンドルを握っていました。子どもの試験終了時間に間に合う電車に乗るために、駅まで車を走らせていたのです。夫が子どもを迎えに行くことになっており私は送迎でしたが運転は夫に任せていました。

どこかのタイミングで少し前に聞いていたラジオの内容を夫と共有できたらいいとは思っていたので、よく考えずに話し始めていました。しかし、この話を共有することで何を生むのか、その時私は何の意図も持っていなかったのです。

思い付きで話し始める。よくやってしまうんです。
あえて言うなら、息子は見直しをしっかりするだろうか、という思いを漠然と持っていました。でも、それだけでした。

Twitterの内容、つまり塾の先生と子どものやり取りの話をして、我が子はちゃんと見直しをするだろうかという話に。
しかし、話しているうちにいまさらそんな話をしてもしっくりこないと思い直しました。ここで話を終わらせたら、単に「補欠合格だとお金がかかる」で終わってしまう。

ここまで振り返ると、あまり実のない話でお恥ずかしい。
なんとか次につなげました。

補欠合格で第3希望から順番に学校の合格が決まっていったとき、お金を払っていくのは当たり前ではないということ、そういう環境にいる自分を感謝するだろうか、その環境に気づかせることが大事だというラジオだったんだよ、という話までしなくては。

ところが、話を進めようとしたところで、なんだか涙があふれてきてしまったのです。

私と夫、お互いフロントガラスの向こうを見ていたので、夫が私の表情に気づくことはなかったのですが、顔を見られていたらちょっと恥ずかしい状況でした。

話しながら、なぜ自分はこんなに泣きたくなっているんだ?と疑問に思いました。
「我が子はまだきっと親に感謝する気持ちなんか持たないだろう、と寂しく思った?」

そんな気持ちもなくはないけれど、ちょっと違うような気がするなあ。

親ではなく、子どもになっていた

運転していた夫は駅で車を降り、私は運転席に移動しました。
1人になった車内で私はハンドルを握りながら、なぜ涙を抑えられなかったのか、考えに考えていました。

10分くらい経ったでしょうか。

もしかして、私もそうやって自分の親をはじめとする、出会った人に応援してもらってきていた??今まで当たり前のように思っていた???

自分の親のこと、自分自身が受験生だった時のことを思い出していました。自分自身が受験生だった時は、親が私に対してしてくれたこと、考えていてくれたことなど振り返ることもなかったような気がします。

今まで受験をした時、自分はちゃんと感謝できていただろうか。いや、できていないなあ。

涙の理由を考えたときに、自分の心に湧き上がってきたのは、子どもとしての親に対する気持ちでした。
自分一人で受験して、道を開いてきたように思っているのはまだまだ子どもだから、なーんて我が子を見て思っていたけれど、実は一番子どもだったのは私自身だったのでした。(遅すぎですね)

子育てを通してアップデート

我が家の中学受験は終わりました。
でも、子どもの成長を通して私自身が育てられていることを感じています。まだ周りがよく見えていないと、いまさらながら自覚しました。
またしばらくの間は、子どもに育ててもらうことになりそうです。

そんなことに気づいた一週間でした。







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一ノ勢さい子(二拠点生活を目指す人)
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