生きやすさのための生きにくさ。

息子たちが不登校になって、色々な壁にぶち当たり、己のことをかえりみて凹んだり、どこにぶつけていいかわからない感情を親にぶつけてみたりしているうちに、

ああ、息子たちがやっていることと、私のやってることは同じだな、となり

どこにぶつけていいかわからない感情を受け止めるだけでいいのかもしれないな、とも思えた。

もう、わからないものはわからない。


自分自身でもどうしようもない気持ちを抱えて、それがこの思春期に爆発していることは、

これから生きやすさにつながるかもしれないな、という希望的観測さえ生まれた。


もうここまで悩んだのだから、若いうちにどん底を経験することは大きな糧となり強さに変わるんだろう、という。

そうであってほしい。


息子に言わせれば
お前が言うな!ってことになるけれども、お前のせいだ!と親に言える事も含めて、もう全部今でよかったんだ、と。
そう思いたい。

もう全部受けとめるから、そう思いたい。


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