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コミュ力の正体

若い頃の私が思ってた「練れたオトナ」とは、美容院で緊張しない人のことだった。美容師さんと何を話したらいいのか、本気で悩んでいたのだ。
社会人になってからも、悩みは続いた。エレベーターの中で、会議の待ち時間で、どんな話題を選び、どう振舞うのが「正解」かわからない。

通勤途中やエレベーターで、どうか知り合いに会いませんように。打ち合わせ開始前に、変な感じの待ち時間がありませんように。エレベーターホールでお見送りタイムの時、スムーズにエレベーターが来てくれますように。エレベーターの中で話題が見つかりますように。打ち合わせの後、帰り道が他のひとたちと違う方向でありますように。神様、神様。

さて、あれから30年、50代になった今はどうだろう?

全然、平気になったのだ。もう、びっくり。

「世界一つまんない」と馬鹿にしてた天気の話なんかで、3分くらいは誰とでも平気で喋れる。「大して仲良くもない人と、逃げられない場所で2人になっちゃう」と言う、あんなに恐れていたシチュエーションも、「これも何かのご縁かも…何話そうかな?」って思えるようになった。

年月と共にコミュ力がついたのか?練れた大人になったのか?

いや、まだまだ場の雰囲気が全然見えてないことも多々あるし、「ああーなんであんなことを言ってしまったのだ!」と言う、失言のお手本みたいなザ・失言も量産中。
むしろ、コミュニケーションの手数が昔より増えた分、失敗も増加傾向なんじゃと思うくらい。

にも関わらず、緊張しなくなったのはなんでだろう?

多分私、人間好きになってきたんだな、と思う。

ほら、猫が好きな人って、どんな猫にも一定の愛情は感じるじゃないですか。特別に好きなタイプの猫はいるにせよ、ブサ猫であれ凶暴な猫であれ、うっすら共通の愛情を感じることができるというか…それの人間版という感じ。

「うっすら全員に感じる人間愛」が、エイジングと共に増大する気がするのだ。
自分や周りが体調を崩したり、思わぬ訃報が舞い込むようなことも多くなり、「人間って脆い。誰もが永久に存在するわけじゃないのだ」「限りある人生で、出会えたのも何かの縁かも」って思えるようになってくる。

あとは、フリーランスになって、仕事をくれる方々には「マジで感謝」するようになったことも大きい。
「マジで、心から感謝」してる分には、失言があろうが、ヘドモドしてようが、不思議と良いコミュニケーションが生まれる。

ちなみに、私が仕事上で心がけてるコミュニケーションの原則は3つ。

①敬意、興味、感謝を忘れない

そして、一定の努力をしても、これらが自分の中にどうしても湧いてこない場合は、心苦しいけど、お仕事自体を断る。

②疑問点は、なる早で質問を(後になるほど言いづらくなる)。

※質問の際は、「今のお話、〜と言うふうに理解しているんですが、これは正しい理解でしょうか?」みたいに、「こちらが、どこまで理解してるか?」をアナウンス。漠然と聞くよりは、相手も答えやすい。

③感情も情報として共有する

喜び、ワクワク、戸惑い、時には怒り。ビジネスの場でも、感情って休みなく動いているし、結果にだって、大きく作用してくるなーとしみじみ思う。自分の感情を押し殺して淡々とやるのがプロだと思っていたが、今は「時には、感情も情報として共有する」方が、結局はうまくいくと感じている。

「面白いと思います、素敵なアイデアですね!」「迷っています。皆さんならどう判断されますか?」「すみません、ちょっとお話が最初と違ってきて戸惑ってるんです」etc.

仕事の場に感情を差し出すのは(特にネガティブな感情の場合)、リスクもあるし、言葉は選ばなければならないところだが「人となりを理解してもらえる」と言うメリットは、すごく大きい。
勇気を持って自分を開示すると、それに対する答えや反応も、必ず率直なものが返ってくるのが、不思議だ。

そう思うと、美容院で緊張してたあの頃の私も、何も間違ってはいなかったんだと思う。「緊張してます、でも綺麗になりたいんです」って情報を、全身で差し出していたわけだから。
世慣れしたふりするよりは、美容師さんも「あ、緊張してるんだな」って分かってくれるし。「このお客さん、人見知りなのかな?なら、明るいキャラに見える髪型を提案してみようかな」とか、一緒に考えてくれたりもする。

率直でいる勇気。それがコミュ力の正体なのかもしれない。

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