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麺カノだった私が、一般人と付き合うことになった話。②~初めての彼氏はバンドマン~

どうも、屑ちゃんです。
①ではわたしのバンギャ15年分を軽く振り返りましたがいかがだったでしょうか。


友人には、

「絵に描いたように当時のバンギャをすべて網羅した人生」

といわれたことがあります。

実際私よりすごい人なんてもっといるとは思いますが。。

今回の記事では、
初めての彼氏(バンドマン)のことについて触れていきます。

「#婚活」や「#ペアーズ」から
飛んできた方は申し訳ありませんがお待ちくださいませ。


まず、わたしの基本スペックに
「ネガティブ」「メンヘラ」
が挙げられます。

これはわたしが

ASD(アスペルガー症候群)
という発達障害であることも踏まえ、
今の性格の基本となったとも言えます。

もちろん全ての人がASDだからといってネガティブやメンヘラとは限りません。
あくまでも私個人が発達障害が理由で自己肯定感が恐ろしく低くなったことも要因として考えられます。

そんな絵に描いたようなネガティブメンヘラがバンギャになり、そして

「バンドマン」

という生き物と付き合います。

そのまま私の人生はさらに悪いほうへ悪いほうへと進んでいきました。





ここからは暴力的な表現等が含まれますので、
苦手な方はスルーしてください。




初めて彼氏(バンドマン)と付き合う


初めての彼氏は20歳のとき。
割と遅めの初彼氏でした。

私は中学~高校と、一つのバンドを追いかけつつも他のマイナーバンドも掛け持ちして通っていました。

なのでこの年齢になるまで「彼氏」という存在を欲したことがなかったのです。

しかし20歳の節目に、
一番お金をつぎ込んだ本命のバンドが解散したのです。

無論、追っかけも強制終了です。
解散ですから。

しかしこれが今現在も
わたしが「バンギャ」を止めることが出来ない引き金となってしまったのです。

わたしは本命のバンドが解散した寂しさを埋めるため、
手当たり次第様々なマイナーバンドに手を出しました。

そしてその結果、
とあるセッション麺の彼女となったのです。

(セッション麺とは正式なバンドを組んでいないバンドマン指します。麺=バンドマン)

20歳のわたしは始めての彼氏に舞い上がっていました。

しかし、それと同時に彼が
「他のバンドのライブには行くな!」
と言い始めるようになったのです。

成人なのに男性とお付き合いしたことのない私は、

「これが俗にいう嫉妬か…!うれしい…!」

なんて思っていました。

だってこの時点ですでに自己肯定感は中の下くらいの私ですから、

「私と付き合ってくれている!」

それだけで、

「こんな自分を認めてくれた親以外の一人」

だったんです。彼氏がね。


それから私は彼のバンドにしか行かなくなりました。

彼はセッションから本バンドへと活動を広げ、
全国各地のツアーを回るようになりました。

ツアーといっても
ビジュアル系は名前が売れてなかろうがなんだろうが、地方巡業に行くことなんてザラ。

正直それがすごいわけでもなんでもないです。

言い方悪いけど、セッションなのに地方とかもいけちゃうからね。

そんな地方巡業中、
彼がいろんな女性とホテルに宿泊していることが、
ビジュアル系の2ちゃんねるといっても過言ではない「たぬき」に書き込まれました。


そうです。

「バンドマン」という生き物は、
さらに「ビジュアル系のバンドマン」
というのは、

自分のバンドのお客さんになってもらえるため、
私利私欲を満たすため、

そうなれば手っ取り早い「自分の客」に手を出すことも、
しばしばある生き物だったということを、身をもって体験したのがこの時でした。



おわかりですか?


そうなんです、無論わたしも手を出された「客」の一人。

たまたまそのバンドマンの「彼女」という肩書きを得ただけで、付き合った経緯はなんらその女性たちと変わりないのです。

それが判明してから、

「優しく、たまに嫉妬して可愛い人」

と思っていた彼氏が豹変しました。

「俺も細身じゃないし、痩せてくれない?
ぽっちゃり二人で歩くとか恥ずかしいんだよね。俺はキャラだからいいけど、屑はビジネスぽっちゃりでも何でもないじゃん?」

これが序章でした。


ある日、彼と喧嘩をしました。
彼にれてしまい、笑うしかなかった私は彼のなにかの言葉で、鼻で笑ってしまったんです。


その瞬間に彼が飛び掛って、私の首を絞めました。
そして苦しい苦しい、という私に「謝れ」と怒号を浴びせました。



「ごめんなさい」
とわたしが呟きます。

そしてすぐに首に掛けた手を緩め、立ち上がりました。

そして、苦しんでいた私を横目に部屋と廊下の間のドアを殴り、
大きな穴を開けてその日は帰っていきました。

修理費はわたしが退去の際に全部払いました。


その後の話は詳細に話しますが、そもそも底辺に等しかった自己肯定があってないようなものになりました。
なのに、人に否定されることにもとても敏感で、情緒がガタガタだったと思います。

そこからも数人とお付き合いをしますが、屑ちゃんはそのたびに尽くしすぎるがゆえに相手に舐められ、また悲しい気持ちで振り出しに戻る、を繰り返したのです。


そんな私がある日をきっかけに、今の彼氏と知り合います。


続きはまた、後ほど。