【自己紹介】人生の全てを賭けて手に入れたサッカー日本代表チームドクターの肩書きを捨てた話
始めまして!おとんこと梶原です!
おとんは現在
「パフォーマンスドクター」
として
日本の最前線で戦っているリーダーが
自分が挑戦している道で完全燃焼できるように
「日本式リカバリーメソッド
(日本人に特化した身体と心の超回復術)」
を使ってサポートしています。
この記事を最後まで読んでもらうと
✔️日本式リカバリーメソッドとは
✔️完全燃焼する生き方とは
✔️パーソナルドクターが当たり前になる時代とは
ということが分かってもらえるはずです。
そして、さらに、おとんがこれまでどうやって
✔️体育学部の脳筋男子から国公立医学部に合格
✔️30歳研修医からサッカー日本代表ドクター
など、逆境を跳ね返して
「圧倒的な結果」
を手に入れることができたのか。
おとんの恥ずかしいぶっちゃけエピソードから
その秘密をお伝えいきますので
ぜひ楽しみながら読み進めて下さい。
一流の人達の共通点
おとんはこれまで整形外科医として
12万人以上の患者さんを治療してきたと同時に
サッカー専門のスポーツドクター
(以下、サッカードクター)
として、
・プロサッカーチーム(Jリーグ)
・日本代表チーム(U20)
などのチームドクターとして
一流サッカー選手をサポートしてきました。
また、情報発信を始めるにあたって
各業界で活躍する一流と呼ばれる方々に
お会いしてきたんです。
そんな中でおとんは
一流の人達にはある大きな"共通点"
があることに気付きました。
その共通点とは、
サッカー界でもそれ以外の業界でも
一流の人達は自分がやると決めたことを
最後までやり切る能力が高いってこと。
やり切るとは、どんなにキツくても
決めたからには最後までやり抜くってこと。
つまり、
「完全燃焼」
を追い求める毎日を送っていたんです。
これは言い換えると
「悔いのない人生」
さらに言い換えると
「最高の人生」
を本気で目指しているということ。
けど、これって言うほど簡単ではなく
完全燃焼するためには
常に挑戦しなければならないので
時には途中で失敗や挫折を経験します。
だから、そうなってしまった時のために
あらかじめ戦略を準備しておいて
そこから何度も復活して
再挑戦しなくてはなりません。
(落ちた時に放っておくと
ドロップアウトしてしまうから)
その戦略のこそが
「リカバリーメソッド」
だったんです。
そういった意味では、
「リカバリーメソッドを実践し
毎日完全燃焼する生き方を
どこまで突き詰めているかが
一流と二流を分けている」
ということをおとんは知ったのです。
二流の人間は気合や根性だけで
頑張ろうとしちゃいます。
ただし、気合や根性はもちろん必要で。
(否定しているわけではありません)
毎日、やるべきことを絶対にやり切る
という覚悟は必要ですが
それだけでは徐々にすり減り
最終的にはエネルギー切れになって挫折します。
だから、気合や根性だけでは
大きな壁は乗り越えられない。
2、3日、徹夜すれば乗り越えられる
みたいな挑戦なら
気合いや根性だけで十分。
しかし、
・1年間頑張る必要がある受験とか
・仕事の長期間プロジェクト(創業期含む)
・シーズン中は戦い続けるスポーツ選手
・さらには子育て中の主婦
みたいな長期間の厳しい戦いでは
気合いと根性だけでは
最後まで戦い切れないのです。
要するに、もうそれは時代遅れのやり方
ってこと。
一流の人達は、挑戦してきた中で
そんな痛い思いをしてきているので
決して気合や根性だけでは頑張りません。
1日をやり切ったら
「次の日までにどうやって
すり減った分のエネルギーを回復させるか」
ということに意識を集中します。
つまり、リカバリーを
めちゃくちゃ意識してるってこと。
そういった意味では
挑戦とリカバリーは常にセットであり
1日の最後にリカバリーまでをやり切って
次の日までに回復してこそ
大きな挑戦をやり抜けるのです。
おとんはこの一流の人達が実践する
リカバリーメソッドを自ら実践し
研究に研究を重ね
「日本式リカバリーメソッド」
として再構築しました。
日本人を日本化する
実は日本の現状と
サッカー日本代表チーム(以下、代表)の歴史
ってめっちゃ共通点があります。
ここではサッカーを知らない人でも分かるように
その共通点を解説していきますね。
代表の歴史の中で、
めちゃくちゃ大きな転換点
となった出来事がありました。
それは何かと言うと、
2006年に代表監督に就任した
イビチャ・オシム監督の話。
彼は旧ユーゴスラビア代表の最後の監督であり、名将として広く知られていました。
2003年にJリーグの弱小チームの監督となると
タイトルまで取っちゃったんです。
これってすごいことだったので、
その功績を評価されて代表監督となったのです。
その彼が、就任記者会見で、
こう言い放ちました。
「日本サッカーを日本化する」
「今の代表のサッカーは日本らしくない」
と。
この発言におとんは
ピストルで脳天をぶち抜かれたくらいの
衝撃を受けました。
「そんなことに挑戦してもいいんだ」
「けど、日本らしいって何?」
他のサッカー関係者もおそらく同じ感想でしたが
同時に目から鱗(うろこ)も落ちたんです。
なぜなら、それまで日本のサッカーは
世界に大きく遅れをとっていたから。
それが、2002年の日韓ワールドカップを経て
急速に力をつけてきました。
(この時めっちゃ盛り上がりましたよね!)
その原動力は徹底的な海外サッカーの真似
だったんです。
チームを強化するために、
サッカーの強い国から監督を招き、
その国のサッカー文化を取り入れる。
そうやって、代表は強くなっていたんです。
(もちろん、Jリーグができたことも大きかった)
これって、鎖国から開国した後の
明治維新から現在までの日本の状況
そのものって感じですよね。
しかし、そのやり方では限界が来たんです。
代表の目標はワールドカップ(世界大会)で
優勝すること。
あまりにも遠い目標に感じられたので、
そのこと自体を口にすることもできない時代に
おとんが生きてきました。
しかし、少しずつ日本が強くなってきて
そこを目指してもいいんじゃないか
という雰囲気になってきた時、
急に成長が頭打ちになったんです。
その原因は明かでした。
それはどんなに真似をしても、
オリジナルには勝てないってこと。
具体的には、ブラジル、ドイツ、スペイン
などの強豪国は
「自分達のサッカーはこれだ!」
という明らかな特徴を持っています。
そういった世界の強豪国の特徴を真似て
チームを強化しても、
そのオリジナルのチームには、
決して勝てなかったのです。
その状態を全て分かっていた上での
オシム監督のあの発言だったのです。
「守・破・離(しゅ・は・り)」
という概念があります。
修行の最初はとにかく型を守る。
そして、それが完璧にできるようになったら
次はその方を型を破って
自分らしさ(オリジナル)を
出していこうってことです。
つまり、日本はいつまでも
「守」の状態ではダメで
そろそろ次のステージに行こうよ。
それがオシム監督のメッセージだったのです。
この言葉を実行し
日本代表は壁を突き破って
一段上のステージに上がりました。
今では、ワールドカップの本番で
ドイツやスペインにも勝った経験があります。
ワールドカップで優勝した事は無いとは言え、
日本は世界にも強豪国として
認知されています。
そうやって、
日本を次のステージ押し上げたコンセプト、
それが、
「日本サッカーを日本化する」
だったんです。
おとんは今の日本に必要なのは
まさにこれだと思っていて。
なぜなら、
日本は2600年以上の歴史を持つ世界最古の国。
おとんは代表ドクターの時
日本人の能力を引き出すためのヒントを探して
日本や日本人のことを徹底的に調べました。
調べれば調べるほど
日本には素晴らしい伝統や文化がたくさんあり、
私達の祖先は素晴らしい精神性を持っていて
どう見ても世界の規範となる国の1つです。
つまり、日本の文化や伝統を
世界に伝える側の存在だと言う事。
しかし、実態はその逆になっています。
大航海時代に世界の覇権を握った
イギリスでさえも、
歴史は1000年ちょっと。
現在派遣に行っているアメリカなんて
300年弱の歴史しかありません。
それがたった1回の戦争(第二次世界大戦)
に負けただけで
西洋の食事や習慣や文化は全て正しくて
日本の文化や歴史は間違っていた。
だから、西洋、特にアメリカの言うことは
絶対に正しくてそれに日本は従います
という感じになってしまった。
それ以降、日本では、
西洋(欧米)文化が中心となり、
日本の伝統や文化は遠い昔の話して
忘れ去られてしまっているんです。
つまり、日本は西洋文化を良しとし
積極的に取り入れて真似をしてきました。
それによって、復興してきた側面もあるので
良かった面もあるでしょう。
しかし、現在はそれが頭打ちになり
伸び悩んで限界に来ている。
これってまさに、オシム監督になる前の
代表チームの状況と全く同じだと思うんです。
だから今こそ、おとんは
「日本人を日本化する」
ことが日本を次のステージに進めるために
絶対に必要だと思っています。
日本人に合った生き方
戦前、日本人の精神性の高さは
世界でも有名でした。
明治維新の志士(しし)達が
欧米に視察に行くと
英語は話せないけど
凛とした姿勢で自分達の考えをはっきりと話す
そしてその内容が肚(はら)が座っていて
素晴らしかったのだそうです。
だから、彼らは英語を話せなくとも
世界中のリーダー達から
尊敬されていたと言います。
きっと日本を守ると肚を据えていたので
その生き方や生き様が
人の心を動かしたのでしょう。
そういった彼らの精神性の高さの元となったのが
「武士道」
でした。
現在、この武士道は
かなり誤解されて伝わっています。
多くの場合、
「武士道 = 切腹」
というイメージが強いですよね(苦笑)。
このイメージのせいで
武士とは何かあったら
すぐに腹を切って死ぬ人
って考えてる人が多いと思います。
つまり、武士道とは死に方のことであり
死ぬ場所を自分で決めることだと。
実際におとんもそう思ってました(苦笑)。
けど、それは全然違ってて。
武士道ってその逆で
生き方や生き様の教えなんです。
例えば、みんなに惜しまれながら
みんなに囲まれて死にたい
って思ってたとしたら
死に際にみんながそうしてくれるような
生き方をしてないと無理ですよね。
自分勝手なことばかりして
みんなに迷惑ばかりかけてきた人生だったら
その死に方は叶わない。
逆に、自分のことよりもみんなのことを優先して
みんなの世話ばかり焼いてた人だったら
自然とそういう死に方になるはず。
つまり、
「死に方 = 生き方」
なんです。
武士道とは、今日死んでしまうとしたら
今日1日をどう生きるのか
その問いに正面から向き合い
今日を生き切り、それを積み上げること。
それが悔いのない人生に繋がるよ
という教えなんです。
つまり、武士道とは
「完全燃焼型の人生」
を目指す教えだったんです。
そして、その教えが書かれたのが
「葉隠」
という書物。
佐賀県藩主の山本常朝が書いたものですが
これこそが
「武士道の教科書」
であり
「完全燃焼型人生の教科書」
なのです。
おとんは西洋文化に染まった現状を
打開するヒントがここにあると思っていて。
西洋では宗教的な観点から
基本的にみんなイヤイヤ働いています。
(労働は神から与えられた罰だから)
だから、早く資産を貯めてリタイヤしたい
と思っているんです。
日本でもその影響を受けて
「1億円貯めてファイヤーする!」
みたいなのが流行ってますよね。
つまり、早いタイミングでセミリタイヤするのが
成功者だから羨ましいなって感じ。
けどそれって
「不完全燃焼型の人生」
であり、そもそも日本人には合わない。
だから、そんな人生を目指したって
絶対に人生の最後で後悔することになります。
日本では古来から
労働は神様から与えられた尊いものであり
神様に仕(つか)える事が仕事だ
という考え方があります。
なので、日本人は昔から生きてる間は働き続け
世のため人のために尽くすのが普通で
そうすることで世の中と繋がりを感じて
それによって生きがいを感じていたのです。
これこそが
「完全燃焼型の人生」
だとおとんは思っています。
つまり、本来日本人には合わない
西洋の生き方が主流になってきてしまっていて
だからこそ、なんだかみんな熱くなれないし
何のために働くのかわからない
だったら早くリタイヤして好きなことしたい
って感じになっちゃってるんですよ。
こうやって
西洋に染まり切った日本人を日本化して
完全燃焼型の人生を取り戻すことが
日本を活気づけ
元気な日本を取り戻すきっかけになる
とおとんは本気で考えていて。
そのための方法が
「日本式リカバリーメソッド」
なんだと確信してこの活動をしています。
だだし、これは何も
昔は良かったから
江戸時代の生活に戻りましょうと
言っているわけではありません。
最近は最新科学や最新技術で
日本人を日本化するスキルやテクニックは
たくさんあります。
(みんな知らないだけ)
だから、そういったらことを利用ながら
昔の日本人よりもさらに一歩前に
さらに完全燃焼できるように挑戦できる。
実は現在はそんな可能性に溢れた
素晴らしい時代なんです。
そうやって
世のため人のために挑戦し
完全燃焼を目指す人が多くなり
さらにはそういった集団、会社、グループが
どんどん増えていって
日本では完全燃焼する生き方が当たり前になる。
そして、それを世界に広めていく。
そんな世界になればいいなって
おとんは本気で思っています。
そうなるために不可欠な
「日本式リカバリーメソッド」
を各業界で戦うリーダーに伝えたい。
なぜなら、まずはリーダーが完全燃焼すれば
その下にいる人達も完全燃焼し、
それが日本中、世界中に広がると思っているから。
その第一歩として
おとんは今この活動をしているのです。
自分がポンコツだと
思い知った日
「あぁ、人生終わった・・・」
受験した最後の医学部から
不合格通知が届いた夜
1人で薄暗い部屋のベッドに寝転がって
ぼーっと天井を見つめながら
この現実を受け入れられないでいました。
「あれ?」
「ヤバい!ヤバいぞ!」
「思ってたのと全然違う!」
「あっという間に1年が経ってしまった。」
医学部受験なんてチャチャっと終わらせて
最短ルートでサッカードクターになる。
そのつもりだった・・・。
「最初の一歩で、
オレめっちゃつまづいてるやん!
(なぞの関西弁。苦笑)」
しかも、自分なりには全部出し切っての挫折。
正直、次の手が見当たらない。
どうしていいのか、全くわからない・・・。
プロサッカー選手になるために
一発逆転を目指して進学した体育学部で
全く結果を残せずに現役を引退したおとん。
それでもサッカーの世界には関わりたくて
(サッカーの世界で成り上がりたくて)
サッカードクターになるべく
医学部受験を決意しました。
大学4年間
サッカーしかしてこなかった脳筋男子のくせに
「高校生になんて負けないでしょ!」
「最後は絶対に勝つ!」
「医学部に合格するのはオレだ!」
なんてうそぶいて自力で受験生活を始めました。
全てが裏目に出た医学部受験1年目
とはいえ、さすがに脳筋男子のおとんでも
現時点では他の医学部受験生とは
ライバルにさえならないくらい偏差値は低い
ということは分かってました。
なので、おとんが合格するには
ライバル達との圧倒的な差を
ひっくり返すしかなかったんです。
そのためにおとんが考えた
逆転するための秘策は
「ライバルより長時間勉強し
圧倒的な勉強量で勝つ!」
「どんなに辛くても
医学部への熱い想い勝つ!」
「とにかく根性で勝つ!」
というめっちゃシンプルなものでした。
(完全に脳筋の発想ですね。苦笑)
おとんが1年目にやっていた
勉強時間を確保するための作戦を
簡単にお伝えしますと
「勉強以外の時間はできるだけカット」
「食べながら勉強できるように、食事は
コンビニのおにぎりやサンドイッチ中心」
「お風呂は週に2回、シャワーだけ」
みたいな感じで。
元々、たくさん寝ないとダメなタイプなのに
睡眠時間を削る為に
好きでもないコーヒーを
がぶがぶ飲んでました。
そうやって時間を作り出せば、
1日16-18時間の勉強時間は確保できます。
本当にもう
とにかくずーっと勉強してました。
そんな感じで、
再受験開始から約3ヶ月が経過した頃
「よし!このまま続けたらいい感じだな!」
と思っていた矢先、
その瞬間は急にやってきました。
よく分からないけど、なんの前触れもなく
まるでおとんの電池が切れたように
パタっと勉強できなくなったんです。
急に勉強が手につかなくなって
ゴロゴロ寝転がって漫画を読む
それくらいしかできないおとん。
こんなんじゃダメだと頭では分かってるけど
これまで無茶した反動なのか
身体が全く言うことを聞きません。
そんな感じで
ゴロゴロと1週間くらい過ごすと
まるで充電が完了したかのように
まためちゃくちゃ勉強を始める。
医学部受験1年目ではそんな生活を繰り返し
まるでジェットコースターに乗っているような
アップダウンが激しく不安定な1年でした。
その時は不安定になってしまった理由は
全然分からなかったけど
自分なりに"根性"という角度からは
全てやり尽くしました。
しかし、結果は出なかった。
もちろん、受験した医学部はすべて不合格。
医学部受験はあっけなく
2年目へ突入したのでした。
「あぁ、人生終わった・・・」
「何もかも捨てて医学部に挑戦したのに
これ無理じゃね?」
「初めから医学部なんて無謀だったんだよ。
オレの人生詰んだな」
おとんの口からは
ネガティブな言葉とため息しか
出てきません。
そして、1年間の疲れがドッと出たのか
いつの間にかウトウトし始めて・・・。
リカバリーメソッドとの出会い
目を開けると真っ暗な部屋のベッドの上に
横になっていました。
明らかにいつもと風景が違います。
カーテンの隙間から入ってくる街灯の明かりや
テレビのスイッチがオフであることを知らせる
赤いライト
そんな光さえ何もない。
完全に真っ暗な空間。
そんな異常な空間も
医学部受験で味わった絶望と比べたら
全く気になりません。
色んな想いがおとんの頭の中を
ぐるぐると巡っています。
「よく考えてみたら
子供の頃から逃げてばかりだったな。
人よりも成長期が早く来たせいか
そこそこ背も高くて、そこそこ足も速くて
そこそこ勉強もできた。
サッカー部では中心選手で
学校の成績もまぁまぁ良かった。
そんな自分の立ち位置に満足して
全力で努力したり
工夫したりしたことなかったな。
ちょっとめんどくさそうなことや
嫌なことがあると
自分の得意分野にスルッと逃げて。
何をやるにも最短最速で要領よく
最低限の結果だけ出せばオーケー。
そんな人生。
そんなんだからサッカーも勉強も
そこそこの位置にはいるけど
突き抜けられない。
なんて、薄っぺらい人生なんだ。
医学部受験だって昔そこそこ勉強ができたから
何とかなんだろうって軽い気持ちで始めただけ。
こんなんだったらやめときゃよかったかな。
あー、オレの人生、詰んだな。
就職先も全部断って、背水の陣で臨んだのに。
あいつら(サッカー部の同期)は
みんなそれぞれの道に1歩踏み出しているのに
オレはこんなところで何をやっているんだ。
そういや、
奴ら(プロサッカー選手になった同期)
頑張ってるかな。
まぁ、きっと奴らなら大丈夫だろ。
それにしても、奴らには
サッカーでは全く歯が立たなかった。
技術も体力も何もかも、1つも勝てなかった。
中でも、決定的だったのは
やっぱりリカバリーだったな。」
おとんは大学時代に
プロサッカー選手を諦めると決めた瞬間のこと
を思い出していました。
プロサッカー選手の卵たちと出会って
初めて知ったリカバリーメソッド。
リカバリーメソッドとは
身体と心の超回復術です。
簡単に言うと
オフの時間に何をするかと言うこと。
(スポーツの世界では"コンディショニング"
と呼ぶこともありますが
ここではリカバリーに統一します。)
サッカーの練習以外の時間に
・友達と遊んだり
・飲みに行ったり
・ゲームをしたり
・ネットサーフィンをしたり
そういうのもちょっとくらいはいいけど
それで夜更かしをして
次の日の練習に影響が出るような人は
プロにはなれません。
プロになる選手は
オフの時間に身体と心の回復をし
次の日の練習に100%の状態で向き合うための
準備をするのです。
けど、これって言うのは簡単だけど
思ったよりも難しくて。
例えば、サッカー選手の場合
1日の中で練習時間は2時間くらい。
その他の時間は自由なんですよ。
だから、誤解を恐れずに言うと
"暇"なんです(笑)。
人間て暇な時は
何かやりたくなっちゃうじゃないですか。
特に若いと。
友達と遊びに行ったり、彼女と会ったり。
別にそれ自体は全然いいんですけどね。
やりすぎるのが問題なんです。
どんな世界もそうですけど
高いレベルに行けばいくほど戦いが激化します。
その中で勝ち抜くためには
サッカー選手であれば
1回1回の練習をどれだけ集中していくのか
そして監督にアピールしていくのか
それが命。
だから、練習に悪い影響が出るような
日常を送っている人はプロにはなれないし
逆に、上を目指そうと思えば
オフの時間にはいくらでも
やるべきことがあります。
だからこそ、プロサッカー選手は
食事や睡眠や身体のケアに
十分な時間とお金をかけて
身体と心の状態を研ぎ済ませているのです。
そんなプロサッカー選手の現状を知り
練習の時間だけ100%で頑張ればいい
と思っていたおとんは
めちゃくちゃ恥ずかしくなりました。
確かにおとんと奴らには最初から
才能の差があったかもしれないけど
それ以前にサッカーに対する覚悟で負けていた。
そう感じたんです。
リカバリーという存在を知らなかった
ということもありますが
多分知っていても当時のおとんは
リカバリーを徹底できなかったでしょう。
そして、このリカバリーをやり続けてきた奴らはこれからもやり続けていくはず。
だから、奴らには勝てる気がしなかった。
(差を縮められる気がしなかった)
つまり、
おとんはカバリー(覚悟の違い)に心をおられて
引退を決めたんです。
「あー、奴ら本当にすごかったな。
サッカー選手として以前に
人として負けていた。
おとんの完敗だった
尊敬すべき奴らだったよ」
「けど待てよ、もし奴らが、
今の自分の立場だったらどうするだろう。
奴らならこの状況からでも逆転して
合格をつかみ取れそうな気もする。
奴らだったら
どうやって受験と向き合うだろう」
そう考え始めてすぐ
おとんはあることに気付き
その瞬間、真っ暗だった部屋の上の方から
細いながらも一筋の光がスーッと
おとんに向かって刺してきました。
その光におとんは右手を伸ばし
拳の中に握り締めた瞬間
ガバっと目覚めて身体を起こしました。
「そうか!わかったぞ!」
「これしかないじゃないか!」
「オレは何で今まで気付かなかったんだ!」
「いやいや、まだ遅くはない!」
「見てろ!ここからが本番だ!」
それはおとんの人生で
初めて心に本気のスイッチが入った瞬間でした。
おとんの逆襲
おとんが導き出した答えは
「リカバリーの受験への応用」
でした。
というか、おとんは既に答えを知っていて
それを思い出しただけ。
そもそもリカバリーは
サッカー選手にしか使えない方法論ではなく
受験にも使えるはずだと確信したんです。
(奴らならそうするはずだと)
サッカーの練習を受験の勉強に置き換えて
考えてみると分かりやすい。
サッカー選手が練習への集中力を高めるように
勉強への集中力を高める取り組みがリカバリー。
勉強以外のオフの時間に
どれだけ勉強の準備ができるか。
このコンセプトで受験生活を改革しました。
まずは勉強だけに集中できる環境を整えるために
予備校の宿舎に入りました。
そして、共に受験を戦う仲間を作ったんです。
さらに、もう1つ思い出したのは
サッカードクターになることを決意した時の
「初心(志)」。
それは、奴らがもし怪我をした時
自分が絶対に治してやる!
それができる医者になりたい。
奴らだけじゃなくても
サッカー選手が怪我で困っている時に
力になれる存在になりたい。
そんな気持ちを思い出しました。
すると、心の底から
無限のやる気が湧き起こってきたんです。
そんな環境の改革と気持ちの変化を経て
医学部受験2年目は365日、1日も休まずに
高い集中力で勉強をやり切ることができました。
これまで逃げてばかりだったおとんは
初めて大きな壁から逃げずに向き合い
目の前の勉強に全集中して毎日をやり切り
完全燃焼できたんです。
(正直、もう二度とやりたくないと思うくらい
勉強をやり尽くしました。笑)
そして、医学部受験2年目は途中から
「もう、受験の結果なんてどちらでもいい」
「ただ、今日の目の前の課題に
全力で向き合えることが、ただただ幸せ。
ありがたい」
そんな気持ちで
毎日勉強と向き合っていました。
だから、受験生という
まだ世間的には何者でもなく
これからどうなるかも分からない
そんな人生の1番不安定な時期なのに
一切の不安がない状態で
目の前の勉強に集中できたんです。
そんな心境になれたのは全て
覚悟を決めてリカバリーを実践したから。
「きっと奴らもこんな気持ちで
サッカーに取り組んでいたんだろうな。」
「そりゃ勝てないわ(笑)!」
その時初めて、そんな事にも気付いたんで
おとんのリカバリーレベル
「医学部受験の時って
どんなリカバリーをしてたんですか?」
っておとんはよく聞かれます。
しかし、当時は今と比べて
リカバリーメソッドの知識なんて
100分の1くらい。
だから、正直、大したことはしてません。
強いて言うなら、
生活リズムを死守したこと。
・起床時間
・朝食の時間
・寮を出る時間
・電車に乗る時間
・寮に帰る時間
・夕飯の時間
・お風呂の時間
・就寝時間
これらの時間を徹底して守りました。
これらは受験生だからできることで
社会人になったらまた違う方法が必要でしょう。
しかし、リカバリーメソッドの本質とは
こういったノウハウやスキルではなく
「24時間365日
合格に繋がる行動しかしない
という覚悟」
なのです。
最初、偏差値ではライバルには負けていたけど
リカバリーによる覚悟が
ライバルと比べて抜きん出ていたのでしょう。
(今ならもっと簡単に
パフォーマンスを上げられる
ノウハウやスキルも持っているので
やり方はだいぶ変わりますが
それでも大事なのは本質です)
そして、2年目の医学部受験でおとんは見事に
念願の国公立医学部合格を果たしました!
これが、おとんが人生で初めて
リカバリーメソッドを実践して
大逆転を引き起こした瞬間でした。
ここからおとんの人生は
180度変わっていったんです。
ただ、この話には実はまだ続きがあって。
おとんがこの医学部受験を通じて
何より嬉しかったのは
この時、共に受験を戦った仲間(戦友)3人が
全員医学部に合格したこと。
寮で合格通知を受け取って合格を知った瞬間
3人は抱き合って喜び合いました。
それがこの受験生活最高の思い出です。
目の前の高い壁を乗り越えるために
最後まで戦い切るためには
・志
・リカバリー
・仲間
の3つが必要だというのを学んだ
医学部受験でした。
そして、
「リカバリーってすげえ!」
「サッカー以外の分野にも使えるじゃん!」
と、おとんはリカバリーの応用範囲が
めちゃくちゃ広いことに感動したんです。
そして、このリカバリーを突き詰めたいと
静かに心に決めました。
弱小サッカー部での苦悩
医学部合格が決まって
しばらくは人生がバラ色に見えました。
「もう受験勉強しなくていいんだ!」
「やっとサッカードクターの
スタートラインに立てた!」
サッカードクターを目指す傍(かたわ)ら
キャンパスライフを思いっきり楽しんでやろう
と思っていました(笑)。
そして、医学部でも
吸い寄せられるようにサッカー部に入って。
「まぁ、医学部のサッカー部なんて
サークルみたいなもんだろうし
適当に遊んでやるか。」
みたいに軽く考えていましたが
これがおとんの苦悩の始まりでした。
おとんはこれまで
強豪とか名門とか言われるサッカー部にしか
所属したことがありませんでした。
だから正直、自分のレベルは大したことなくても選手を見る目は肥えていて。
初めて、医学部サッカー部の練習を見た時
「こいつら、マジ下手くそだなぁ。」
って思いました(笑)。
同時に、医学部のサッカー部って当時は
古くさい超根性論がまだ残ってて。
最先端のリカバリーメソッドを学んだ
おとんにとってはまさに
「原始人レベルのサッカー」
だったんです。
しかし、そうは言っても
おとん自身は2年間の浪人生活で
身体が全く動きません。
部員たちも、
「サッカーが下手くそな奴に
偉そうなことは言われたくない!」
って感じで
おとんの言ってる事は絶対に正しい
と確信があるのに
全く受け入れてもらえない日々。
「一体どうしたらいいんだ・・・」
この時、もし、他のチームに移る
という選択肢があれば
おとんはそうしていたに違いありません。
しかし、おとんが所属していたサッカー部は
めちゃくちゃ田舎にあって
他に所属できるサッカー部はなかった。
だから、
このチームメイト達と
向き合わざるを得なかったんです。
現役サッカー日本代表ドクターとの出会い
そんな中たまたま地元で行われた学会に
現役のサッカー日本代表ドクターが来ました。
その人に突撃して名刺をもらって連絡を取って。
すると、今度、日本代表チーム(以下、代表)が
おとんの大学の近くで合宿するから
その合間に話を聞いてくれると言うんです。
こんなチャンスはめったにないので
おとんは
「ぜひお願いします!」
と二つ返事で飛びつきました。
なぜなら、代表の人とコネクションが作りたい
という思いもあったし
自分が目指す代表ドクターって
どんな仕事をするのかも知りたかったからです。
代表チームの合宿当日の夜
ミーティング終了後に
ホテルのラウンジで
代表ドクターと会いました。
あんなことも聞きたい
こんなことも聞きたいと
胸を躍らせて彼の前に座って。
そして、彼は開口一番
「何か相談あるの?」
と言ったんです。
「いや、そういうわけじゃないんですけど。
なんとなく話を聞きたいっていうか・・・」
と、心の中で思ったおとん。
しかし、当然そんな事は言えない雰囲気。
何か相談事を探し出さなくてはなりません。
そこから、レイコンマ何秒の間に
頭をフル回転させても思いつかず
とっさにこんな言葉が出ました。
「実は部活のことで悩んでます。」
こんな時って不思議と本心が出てしまうもの。
その日、全く相談する予定はなかった
今現在本当に悩んでいることが
口から出てきてしまったのです。
一瞬ヤバっと思いましたが
(だって代表ドクターに部活の話ですよ?笑)
意外にも代表ドクターは
身を乗り出してきました。
「部活がどうした?」
それから、おとんが今まで
体育学部でサッカーをしてきたこと
代表ドクターになりたいこと
そして、今の部活のシステムが
体育学部の時と大きく違っていて
強くなるためにはそれを変える必要がある
と思っていること
けれど、それがなかなか上手くいってないこと
を伝えました。
すると、代表ドクターは
「状況って、頑張って変えられることもあれば
変わらないことだってある。
けど、君の目の前にいる部活のメンバーに
影響を与えることができなくて
代表選手と対等に話せると思うか?」
と言われたんです。さらに続けて、
「オレは人生で大切な事は
全て高校のサッカー部で学んだ。
高校のサッカー部は弱小だった。
けど、そこで学んだ事は全て
今この代表チームでの活動につながっている。
活かせている。
だから君も
今所属するチームで精一杯やればいい。
それが必ず後で繋がってくるから。」
この言葉には心が震えました。
「確かにその通りだ。
これしきのことで諦めるようでは
代表ドクターになんてなれない」
「今のこのチームでやれることをやり切ろう。
学べることを学び切ろう」
と覚悟が決まりました。
「だったら、まずはチームの中心になって
チーム内での影響力を高めてやる」
そう決めて、おとんは代表ドクターにお礼を言いその場を立ち去りました。
そして翌日から、
これまで以上に練習に熱を込めたんです。
すると徐々に、おとんの身体は
現役時代の状態に戻っていき
次の年(医学部2年生)
1年の中で最も大きな大会
(みんなの目標の大会)で
優勝することができたんです。
この大会で大活躍したおとんは
チームメイトの信頼を得て
チーム内での立場を確立しました。
それからちょっとずつおとんの意見は
受け入れられるようになり
練習のやり方やミーティングのやり方も
少しずつ変わっていったんです。
そして、これまで体育学部で学んだ
トレーニング理論やリカバリーメソッドを使い
チームを強化していきました。
そして、次の年、大会2連覇を
果たすことができたのです。
これはもちろん、部活史上初であり
ここ20年間どのチームも成しえなかった
偉業でした。
(とは言え、アマチュアの世界なので
ここまで言うのは恥ずかしいですが。笑)
医学部での学び
医学部は、代表ドクターへのただの通過点。
そう決め、この6年間は最短で駆け抜けよう。
入学前は、ただ、それだけ考えていたおとん。
しかし、実は
この医学部での6年間が
おとんにとっては
人生のターニングポイントでした。
なぜなら、おとんはこれまで
自分のことばっかり考えて生きてきたから。
「サッカーではチームが負けても
自分が活躍すれば問題ない」
「自分にメリットがない
面倒くさい人間関係は切ってしまえ」
「時給の良いバイトしかやらない」
「試験勉強は最低限やって
単位だけもらえればいい」
そんな感じの人生。
だから、本当の意味での友達って
いませんでした。
しかし、医学部ではサッカー部も含めて
これまでの生き方は全く通用しませんでした。
なぜなら、ここは田舎だし
同期は6年間一緒だから
彼らとの人間関係を切って
他の人間関係を作るなんてこと
できないんです。
だから、目の前の同級生やチームメイトと
向き合うしかなかった。
(部活も実習もずっと同じメンバーだから)
部活でも
誰も切らずにこのメンバーで戦うしかない
という発想でやるしかありません。
そんな生活を続けているうちに
おとんの中で何かが少しずつ
変わっていきました。
特に部活では
「みんなで協力して成し遂げた時
その喜びをみんなで分かち合うのは
何よりも嬉しいな。」
「自分が教えた後輩が上手くなるのは
自分のことのように嬉しいな。」
そうやって、
人の喜びが自分の喜びになり
それをみんなと分かち合えたら
めちゃくちゃ嬉しいし達成感がある
という自分1人では絶対に味わえないような
"歓喜(かんき)"を体感していったんです。
そして、
「最高の人生って仲間がいればこそだな!」
「その仲間は多ければ多いほど
みんなで完全燃焼するのは難しいけど
共に大きな目標を達成して完全燃焼できた時は
喜びは何倍にも膨れ上がるんだ!」
ってことを知ったんです。
情報発信を始めたクソな理由
その後、順調に医師国家試験に合格し
研修医として働き始めたおとん。
本格的にサッカードクター修行が始まりました。
しかし、まだまだ茨(いばら)の道は続き。
その道の途中でふとしかきっかけで
今の人生の中心である
情報発信と出会うことになります。
そもそも、なぜ医者が情報発信なのか。
元々、おとんが情報発信を始めたのは
単純にお金が欲しかったからです。
(当時のおとん、アホです。笑)
けど、そこには明確な理由があって。
「スポーツの世界はお金にならない」
とよく言われますが、
それはサッカードクターの世界でも一緒。
サッカーの世界でも
大金をもらえるのは選手だけで
それをサポートする人達は
(1部の人を除いては)
医者であったとしても
ボランティアに毛が生えたような状況なんです。
プロの世界はまだマシですが
アマチュアの世界はそれはもうひどいもので。
だから、お金儲けがしたいだけなら
スポーツには関わらない方がいいって
おとんはアドバイスしたいですね(笑)。
とは言っても、医者って収入が多いっていう
イメージがありますよね?
実はそれ、半分は間違えです。
なぜなら、医者って
基本給は高くないから。
それでも医者が高級取りであると言われるのは
バイト代がめちゃくちゃいいからです。
バイトというのは何かと言うと
自分の病院が休みの週末などを使って
他の病院で外来などをするってこと。
そのバイトの時給がめちゃくちゃいいんです。
(ここだけの話
丸一日働けば10万円くらいもらえます)
だから特に若手ドクターは
休みの土日を使って
他の病院でバイトをするわけ。
しかし、若手サッカードクターには
その土日のバイトができない
という問題が突きつけられます。
それはなぜかと言うと、
若手サッカードクターにとって
土日は試合などのサッカー現場で
研修(バイト)をする時間だから。
そのバイトそのものが修行となり、
現場での立ち振る舞いや
怪我人への対応を学ぶのです。
研修させてもらうスポーツ現場は
もちろんアマチュアの世界。
そこにはサッカー大会の会場ドクター
という仕事があります。
会場ドクターというのは
試合中に怪我をした時に
応急処置をする医者のこと。
大会主催者側のルールとして
試合会場に医者がいなくてはならない
と決まっているのです。
実際に会場に行くと
一応電車賃くらいは出ますが
バイト代はほとんど出ません。
だから、
サッカードクター研修をしている医者と
それ以外の普通の医者とでは
結構な収入差があったりするのです。
とはいえ、別にそれでも生活には困らないし
おとんはお金のためにサッカードクターに
なりたかった訳ではないので
それ自体はそれほど気にはなりませんでした。
けど、普通のドクターよりは
明らかに自分の方がしんどいし
頑張っているのに
他のドクターよりも収入が低いっていう現実に
精神的に削られてました。
自分で勝手にサッカードクターを
目指しておきながら
これって不公平じゃん!
とかって思ってました(笑)。
まさに
「今だけ、金だけ、自分だけ。」
という原題特有の世界観で生きてたなって。
とにかく、
自分のことばっかり考えていたんです。
新田祐士さんとの出会い
とにかく、そんな状況がなんか気に食わなくて
この状況を一発逆転できる方法はないかなと
色んな副業を探してみました。
世の中には様々な副業があるもので。
・株
・不動産
・FX
などなど、片っ端から
情報を集めてみました。
周りの先輩ドクターで
そういうのをやってる人もいたんで
ちょっと聞いてみたりもして。
で、そんなある日
とうとう出会ってしまったんです。
「情報発信ビジネス(ネットビジネス)」
という副業と。
もうめっちゃ軽い気持ちで
医者という専門知識を使えば
簡単に稼げそうと思って
やることを決意。
しかし、なかなか最初は
思ったように上手くいかなくて
誰かに教えてもらわなきゃダメだなってことで
この世界では超有名な
「新田祐士さん」
のことを知り
彼のビジネス講座に出てみたんです。
(情報発信の講師は普通
お金のことばかり考えてギラギラしてますが
新田さんはそんな雰囲気が全くなかった)
その講座で初めて
「心のステージ」
という言葉を知りました。
心のステージとは言い換えると
「人間としての器」
ってこと。
一流の人達は現実的な結果(収入や肩書き)と
心のステージを上げることという
一見矛盾しているものの両立に
挑戦しているものだよって。
多くの人は意識してないけど
心のステージが上がらないと
突き抜けた結果は得られないし
何より長く活躍することができないと。
心のステージが低い人=嫌な奴、なので
それがバレた瞬間にみんな離れていくよって。
(新田さんの不思議な雰囲気は
心のステージが高い人間特有のものだった
ということにおとんは後に気付きました)
けど、心のステージが底辺レベルだった
当時のおとんにとって
心のステージを高めようって話は全く響かず
それよりも
「手軽に稼げる方法を教えてくれや!」
ってな感じでした(苦笑)。
そして、その懇親会で
講師陣の皆さんと初めて話し
現状を伝えたところ
思いもよらないアドバイスが
飛んできたんです。
なんと、
「おとん、今はまだ
情報発信をすべきタイミングではないね」
って。
おとんの脳は一瞬フリーズして、次の瞬間、
「は?この人、何言ってるの?」
って思いましたよ(笑)。
「いやいや、情報発信したいのよ、こっちは。」
「だから、その方法をサクッと教えてよ!」
「しかも、最短最速で稼げる
とっておきの方法を。」
「というかこれ、
情報発信ビジネスの講座でしょ?
何言っちゃってんだよ!」
そんなおとんの心の声を見透かしたように
講師たちは丁寧に説明してくれました。
「おとんの人生の流れを考えたら
今は目の前のアスリートに集中する時。」
「一般の人に対する情報発信は
いつでもできる。」
「けど、アスリートと向き合う時間は貴重で
今しかないでしょ。
だったら、今そこにちゃんと向き合わないと
次ステージへは進めないと思う。
だからこそ、今はとにかく
サッカードクターに集中しましょうよ。」
って感じで。
おとんは今まで
自分の人生をそこまで真剣に考えて
アドバイスをしてもらったことは
ありませんでした。
だって、普通に考えたら
お客さんの要求に答えて
また講座をリピートしてもらう
それがビジネスの王道なはずで。
(他の講座ではそんな講師ばかりでしたし)
それを無視してまで
(自分が損をしてまで)
目の前のおとんの人生を
本気で考えてアドバイスをしてくれる
そんな人達と出会ったことはありませんでした。
おとんはそのことにめちゃビックリしたのです!
正直、サッカードクターの仕事も
何か思っていたのと違ったし
辞めちゃうのもありかなって
迷っていた時期でもありました。
そんな時期でもあったせいか、なおさら
「あー、これが
心のステージが高い人のアドバイスなのか。」
とめちゃくちゃ感動したんです!
おとん最大の悩み
そして、一気に彼らに気を許したおとんは
当時抱えていた最大の悩みを
自然と打ち明けていました。
それは何かと言うと
サッカー選手(スポーツ選手)と
一般の患者さんに対して
診察する時のモチベーションが
全く変わってしまうということ。
おとんはプロサッカー選手を諦めて
サッカードクターを目指したので
「サッカードクターになってやる!」
という覚悟は人一倍でした。
それもあって、サッカー選手、もしくは
サッカー以外のスポーツをしている患者さんは
自分の未来とつながっている気がして
めちゃくちゃモチベーションが上がるんですが
それ以外の、特に高齢者などには
全くモチベーションが上がりませんでした。
これって別に手を抜いてる訳ではなくて
ちゃんとやってるんだけど
「絶対に治してやるぞ!」
っていう熱意が湧いてこない
という感じだったんです。
けど、病院に来る患者さんの中で、
サッカー選手なんて3%もいません。
だから、仕事の97%に対して
モチベーションが上がらない状態で
そんな精神状態が
めちゃくちゃきつかったんです。
その話を最後まで聞いて
講師の1人はこう言いました。
「患者さんを分けている人はまだまだだね。
まずは目の前の患者さんに集中してみたらいい。
そしたら、後で全部つながってくるから。」
そして、次の講座参加者の話を聞くために
足早に去っていったんです。
本当にさらっとそう言われただけなので
最初は意味がよく分かりませんでした。
「患者を分けない?」
「後でつながってくる?」
1人になってからも、
その言葉が頭の中をグルグル回ってるけど
全く意味が分からない。
「いや、そもそも、
サッカードクターになりたいんだから、
サッカー選手が特別なのは当然でしょ。
そのために医者になったんだし。
サッカー選手が特別だと思って
何がいけないの?」
そう思うものの、
自分達の売り上げよりも
おとんの人生を優先して
アドバイスをしてくれたのは事実。
そんな彼らを信じてみよう
という気になりました。
(いつもだったら、
絶対に無視していたと思います。苦笑)
そして、次の日から
目の前の患者さんに集中し
全ての患者さんを
同じモチベーションで診察する
という挑戦を始めたんです。
日本代表ドクターへの道
最大の壁
とはいえ、そんな挑戦は始めの頃
なかなか思うようにいきません。
正直、何度も
「またおじいちゃんか。。。」
みたいに思っちゃってて。その度に、
「だめだ、だめだ!
とにかくこの患者さんに集中しなきゃ!」
と思って意識し直す。
そんな毎日でした。
けど、少しずつ患者さんを分けない
こともできてきた感覚もありました。
そんな日々を送って、数ヶ月経ったある日
ふと気づいたんですよ。
「最近、精神的に安定してきたな」
って。
スポーツ選手と一般の患者さん
どちらを診察しても
あんまり気分に差がなくなってきて。
なんだか、淡々と診察できるように
なってたんです。
そうやって、例のアドバイスから
半年くらいが過ぎた頃、
「あれ?
別にオレ、最悪、サッカードクターになんて
ならなくなっていいや!
今の仕事を続けてるだけで、
十分にやりがいがあるし、充実してる。
というか
患者を分けないってこういうことだったんだ!
やっと分かってきたぞ!」
その当時はよく分かっていませんでしたが
おそらくこれが
「心のステージが上がった瞬間」
だったのでしょう。
そして、まるで
おとんの心のステージが上がるのを
待っていたかのように1通のメールが届き
代表ドクター(U20)に内定したのです。
おとんはこの半年間
日常の診察だけではなく
サッカードクター修行も
積極的にやっていて
その働きぶりが
サッカードクターの先輩に評価されて
推薦という形で大抜擢(だいばってき)
されました。
こうやって、心のステージが上がると、
今までこだわってきたものや
とらわれてきたものを手放すことができる。
その時に初めて
本当に欲しかったものが手に入るんだな
ということを学びました。
さらに現実的な結果が出る時は
他の人に引き上げてもらう(他力が働く)
ってことも経験しました。
実は新田祐士さんの講座で
同じような話はたくさん聞いていました。
心のステージと現実的な結果は連動していて
多くの場合は心のステージが上がってから
現実的な結果が後からついてくると。
そういった意味では、おとんの場合
医学部受験の時も
今回の代表ドクター内定の時も
「心のステージが上がって他力が働き
現実的な結果につながるという
まさに成功ストーリーの典型」
とも言えるような流れだったのです。
そして、患者さんは誰でも分け隔てなく
フラットな気持ちで接する。
この人はお金を持ってそうだとか
自分の出世に役に立ちそうだ
という気持ちで人を区別しない。
しょうもないと思える悩みを相談されても
親身になって答える。
これってオレの仕事じゃないんじゃないか
と思うような事でも一生懸命に頑張る。
これが心のステージを上げるコツだ
と思っています。
そうやって
目の前の日常に向き合い続けることで
心のステージは自然と上がっていくもの。
それを意識することが人生の裏テーマだ
ということを知ってから
おとんの人生は急激に変わっていきました。
日本代表チームでの葛藤
おとんはサッカーを始めた小学生の頃から
「代表チーム」
に強烈に憧れていました。
テレビで放映される代表戦に
いつもかじりついて見ながら
「いつか代表のユニフォームを着て
世界で活躍したい!」
と子供心に思ったもので。
(恥ずかしい話ですが
卒業文集にも書いていたくらいです。笑)
だから、プロになるのを諦めた時
心に大きな穴が開きましたが
それでも、
「選手として代表に入れないなら
スタッフとしてでも入りたい!」
と思いました。
おとんがサッカードクターを目指したのには
そんな想いもあったんです。
「オレはサッカードクターになる!」
と決めてから約20年後
おとんは念願叶って
代表ドクターになりました。
(20歳以下の若手チームです。)
国際試合前に全員で肩を組んで
国歌斉唱をする。
試合中に選手が怪我をしたら
走って駆け寄る。
大事な試合に勝ったら
選手もスタッフも全員で輪になって喜ぶ。
テレビでしか見たことのなかった風景の中に
おとんがいる。
それはとても不思議な感覚でしたが
浮ついた気持ちは1ミリもありませんでした。
チームに迷惑をかけないように
しっかりやらなくては
という重圧の方が大きかった。
しかも、おとんの場合は大抜擢だったので
これまで代表の仕事もしたことがない。
だから余計に
プレッシャーがあったのでしょう。
そんな代表に入って1番驚いたのは
チームの雰囲気でした。
めっちゃアットホームだったんですよ(笑)。
当然ですが
代表って日本では最高峰のチーム。
実際にチームに合流するまでは、
きっとスタッフも精鋭ぞろいで
ミスが許されないような
ピリピリした雰囲気なんだろうなぁ
なんて想像していましたが
180度違いました(笑)。
スタッフは本当に良い人しかいなくて
人間関係で悩まされた事は1度もなかった。
何より監督がめちゃくちゃ人格者で
「オレ1人の力ではチーム作りはできないから
みんな力を貸してくれ、頼むぞ!」
みたい感じで。
スタッフ誰もが意見を言いやすく
働きやすい環境を作ってくれました。
監督は選手に対しても、
「いつも通りでいい。」
「いつものお前を見て選んだんだから
いつもやっていることを
そのままプレーで出してくれ。」
という感じ。
代表では
特にチーム一丸となって戦わなくては
世界の強豪国には勝てません。
だから、全員が100%以上の力を発揮して
それをチームのために結集することが
世界大会で勝つためには必須。
そんなチームの一員となるという
貴重な経験ができました。
代表メンバー共通の目的は
「選手やスタッフの能力を最大限に発揮させ
ひいてはチームのパフォーマンスを最大化し
世界大会で勝つこと。」
つまり、
「日本人の身体や精神の特徴を理解し
その特徴を最大限に発揮させる」
選手に対しては
そんなアプローチが求められていました。
世界で勝つためには
他の国にはない日本人だけの強みを探し出し
その長所を最大限に引き出すことが必須。
しかし、これには確立された方法はなく
手探りで進めていく感じだったんですね。
その中で自分なりに色んなことを学び
深めていく大切な時間にもなって。
最終的には代表でも
エビデンス(科学的根拠)がないと
選手に実践させることはできなかったので
おとんが学んだ攻めのリカバリーが
取り入れられることはありませんでした。
しかし、めちゃくちゃ刺激のある
学びの多い2年半でした。
そして、もう一回やれと言われても、
もうそれ以上はできないというくらい
気力、体力的には限界までやり切りました。
関係者の方々には本当に感謝しかありません。
完全燃焼を目指す生き方
しかし、一方で、
日本代表チームという
最高峰のチームで活動させてもらったことで
自分の中に新たな葛藤も生まれました。
それは、このままでは
「おとんの人生は不完全燃焼だ」
という想いが出てきたこと。
それはどういうことかって簡単に言うと
「代表ドクターという仕事では
自分の経験や知識の全てを伝えられない」
と思ったのです。
なぜなら、代表ともなれば、
スタッフは多くて業務は細分化されます。
そういった中で、当然のことながら
ドクターがメインでやる仕事は
怪我の診断と治療。
誤解を恐れずに言うと、
これっておとんじゃなくても
(一人前の)医者なら誰でもできる
とも言える仕事内容で。
当時、おとんの人生の中で
半分以上の期間は医者ではないんですよ。
プロを目指して挫折した経験
再受験で苦しみながらも合格できた経験
そういった、心のステージという観点では
深い学びにつながる経験は
ごっそり削ぎ落として
医者としてのおとんしか
必要とされていない状況が
どんどん苦しくなってきていました。
代表に入った当初は、
「この仕事を続けられるなら本望!」
「ここに骨を埋めたい!」
とさえ思ってました。
つまり、ここが人生のゴールだと。
しかし、
世界大会(ワールドカップ)を経験し
世界中を飛び回って
体力的にはかなりキツイ経験もしてきたので
「身体(体力)的には完全燃焼」
しかし
「精神的には不完全燃焼」
といった感じ。
スタッフとして選手たちには
「自分らしく力を出し切り
完全燃焼をして欲しい」
と要求していましたが、
「そう言っている自分自身はどうなんだ?」
「自分は今
自分らしく生きているのだろうか?」
「自分らしく働けているのだろうか?」
「完全燃焼してると
胸を張って言えるのだろうか?」
と自問する日々。
おとんの言う完全燃焼とは、
「これまで学んできたことを全て出し切り
世のため人のために貢献している状態」
のことです。
「代表の中でそれができているだろうか?」
「このまま代表の仕事を続けたら
オレは死ぬ時に後悔しないのか?」
死ぬ間際に、
「この人生でオレはやり切った!」
と心の底から思えるのか、
そう自分に問いかけ続けました。
もちろん、代表はおとんがやりたいと言っても
やり続けられる仕事ではありません。
しかし、そこにチャレンジするかどうかは
おとんの判断。
「あー、オレはどうしたらいいんだ。。」
正直、代表ドクターの仕事は
世間の評判は良く
それを手放したくない
って気持ちもありました。
(執着している時間が
長かったですからね。苦笑)
だって、誰に話しても、
「すごいねー!」
「夢叶えたね!」
って褒めてもらえるんですよ(笑)。
けど、それで本当にいいのかって
それを突きつけられたんですね。
迷いに迷い、向き合い続け
決め手となったのは子供達の存在でした。
当時は長女が2歳で
長男が産まれたばかりのタイミング。
(妻には苦労をかけました。
支えてくれてありがとう!)
このまま代表の仕事を続けて
子供がもっと大きくなった時に
パパが代表ドクターをしている姿を見せたい
と言う想いもあって。
しかし、今のような葛藤を抱えたまま
(心からやりたいと思ってない仕事を)
世間的には見栄えの良い仕事だからと
自慢するかのように
子供達に見せるためだけに続ける。
「それってむしろ、カッコ悪くないのか?」
「自分らしいと言えるのか?」
逆に、肩書きもなくなり
収入は減るかもしれないけど、
今まで積み上げてきたものを
思い切って捨てて
次のステージでがむしゃらに挑戦する
パパの背中を見せる。
果たしてどちらがいいのか。
そう考えた時、
もし自分が子供だったら、
「お前のために
(やりたくない)仕事を続けたんだ」
なんて言われたら絶対にイヤだなと(苦笑)。
それよりも、どんな仕事でも
「生き生きと全力で挑戦している父親の背中」
の方が1000倍カッコいいと思ったんです。
だからこそ、体育学部を卒業してから
約20間追い求めてきた
代表チームドクターという仕事
もっと言えば、
「今までの積み上げてきた
地位や肩書きの全てを捨て」
「ずっと人生の中心だったサッカー自体」
を卒業しようと決めました。
すると、
ちょうどそのタイミングでコロナ禍になり
強制的にサッカードクターの仕事がなくなり
思ったよりもすぐに
卒業することができたのです。
サッカーという枠を取っ払い
「リカバリーメソッドの発信をらして
各分野で戦って完全燃焼を目指す人達を
サポートする」
そんな第二の人生がスタートしたのでした。
「これでやっと
自分の人生の全てをぶつけられる!」
「完全燃焼を目指せる!」
そう思って心が踊ったことを
今でも昨日のことのように思い出せます。
リカバリーマスターへの
ロードマップ
一流の人達はリカバリーメソッドを極めた
「リカバリーマスター」
と呼べる存在。
そこにあなたを導くのが
おとんの大きな役割です。
しかし、そこに導くための
リカバリーサポートは
全てオーダーメイドで
対応させてもらっています。
なぜなら、1人1人、
今までの習慣も違えば環境も違うし
抱えてる悩みも違うから。
そして、何より1人1人の
理想身体が全く違うので
テンプレートのような方法に当てはめたら
絶対に失敗するから。
だからこそ、まずはおとんと1対1で話して
現状把握するところから始めるのが
最善だと思っていて
そのために
「リカバリーレベル診断」
を無料LINE講座参加者全員に
特典としてつけています。
ここで1時間ほどおとんと話してる間に
現状が整理されて課題も見えてくるのです。
ここでは、そのリカバリーレベル診断の流れを
ロードマップとしてお伝えしますね。
お話しする順序としてはこんな感じ。
1. 現状を全て洗い出す(日常習慣の棚卸し)。
2. 習慣の順番を入れ替える。
3. 悪習慣を止める(21日間チャレンジ)。
全体を見て言えることは
日常習慣の数が増えていないと言うこと。
一般的には健康になるためには
ジョギングをしたりジムに通ったりして
新しい習慣を付け加えなくてはなりません。
つまり、その分、時間がかかるってこと。
最終的には新しい習慣も身につけたいんですけど
最初からそれは難しい人が多いので。
なぜなら、各業界で戦っている人って
めちゃくちゃ忙しいんですよ。
毎日1時間ジムに行ってる時間とか全然ない。
だから、例えば、運動やるにしても
日常生活の中でついでにやるとか
そういう発想になってくるわけです。
そもそも
パフォーマンスを上げて完全燃焼するために
ジムに行く必要なんてないと思っています。
さらに、習慣の数は変えずに
その順番を並び替えるだけで
全く効果が変わる
なんてこともあります。
順番って大事で、例えば
分かりやすくするためにスポーツを例にすると
・練習→食事→睡眠
は身体を作るには良い流れだけど、逆に
・睡眠→食事→運動
だと、運動した途端に
お腹が痛くなっちゃいそうで
完全燃焼だからではなくなります。
(食事から運動までに
十分な時間があれば良いですが)
こんな感じの流れが
日常生活にはたくさんあって
それを1つずつおとんがチェックしていきます。
最後に悪習慣について。
新しい習慣を加える理由は
それによってエネルギーを上げたいからです。
しかし、悪習慣をそのままにして
新しい習慣を加えても
上手くいかないことが多くて。
なぜなら、
新しい習慣でどれだけエネルギーを上げても
悪習慣でエネルギーを無駄に使っていたら
エネルギーは全然溜まらないから。
そういった意味でもまずは悪習慣を断ち
生活習慣全体のボリュームを減らしてから
軌道に乗ってきたところで新しい習慣を始める。
そんな流れがいいんですね。
そしてリカバリーレベル診断では
この悪習慣を立つための
「21時間チャレンジ」
をやってもらいます。
なぜなら、
21日間で潜在意識レベルで意識が変わる
と言われているから。
まずはここで習慣を変えるという
チャレンジをしてもらい
「これはいけるぞ!」
という手ごたえをつかんできたタイミングで
新しい習慣を付け加えていく
というのが理想的です。
おとんのリカバリーメソッドは
これまで誰も知らないような
新しい方法をやると言うよりは
「今までやめた方がいいと思っていたけど
なかなか止められなかった習慣を止める」
「今までやった方がいいと思っていたけど
なかなか始められなかった習慣を始める」
「知識としては知っていたけど
実践できていなかったことを身に付けていく」
と言った方が感覚に近いかもしれません。
無料LINE講座で
リカバリーメソッドの理論とその背景を学び
リカバリーレベル診断で
自分に合った実践方法を学ぶ。
それが完全燃焼するための身体を作る
最短距離です。
というわけで、ぜひこちらから
リカバリーレベル診断に申し込んでくださいね!
↓↓
https://lin.ee/Vwy2JjO