ULTRAS WASEDA ON TOUR '24 🇭🇰 feat. 上形華撃弾
ア式蹴球部創立100周年記念
日本フットボール界に優秀な人材を輩出してきた、偉大なる早稲田大学ア式蹴球部は2024年に創立100周年を迎えます。
私はまだ30歳になったばかりだし、ULTRAS WASEDAはようやく20周年を迎えたと考えると、100周年がとてつもなく大きな数字に感じますね。
そんな記念すべき年に何か乗っかることはできないか考え、個人的に、勝手に、ULTRAS WASEDA ON TOUR '24と銘打って海外に飛んでみました。
3月の韓国は早稲田と高麗大の定期戦と日韓大学新人戦チャンピオンシップ。
5月の香港は北九州からBCレンジャースに移籍した上形洋介のOB訪問です。
100周年も続いていれば、海外まで応援に行くバカも出てきます。
そもそも大学サッカーで一般学生や卒業生が自由に声出し応援を始めてしまう…そんなことが許される懐の深さ?が早稲田らしさなんじゃないかと都合の良い解釈をしています。
今回は特に思い出深かった香港遠征と上形洋介について綴ってみたので是非ご覧くださいませ。
上形華撃弾と横断幕
早稲田で初めて歌われてから、長崎・栃木・八戸・北九州と全てのクラブで受け継がれてきた上形華撃弾のチャント。
北九州の次の移籍先である香港のBCレンジャースでも、上形華撃弾は認知されていました。
この動画を見たときには、私は横断幕を作って香港まで行きたくなっていました。
なぜ海外に行ったOBにそこまでするのか?
選手からよく聞く「サポーターの為に戦う」って言葉がありますよね。
早慶戦は必ず勝たないといけないと理解した上で、必ずゴールを決めてくれた。
早慶戦で活躍した選手は我々にとって永遠に英雄です。
ゴールを決めたらスタンドに来て、一緒に喜びを分かち合った。
上形ほどそのフレーズに説得力を持って戦ってくれた選手を他に知りません。
そんな彼がULTRAS WASEDAに与えた影響は計り知れないです。
とは言っても、上形が北九州を契約満了になって、活躍の舞台を香港に移したこのタイミングで横断幕を作成。
横断幕を出せるのはこの遠征限りになるかもしれないし、またどこかで掲げる機会があるかもしれないし、個人横断幕は今後のことを考えて作ってなんかいられない。
写真の提供いただいたり、塗るのを手伝ってくれたり、浜松から羽田まで運転してくれたり…
今回は本当に色んな人のご協力あって遠征できました。
だからこそこの横断幕を綺麗に掲出して、香港で奮闘する本人の力になりたい。
この時はまだそんなこと思っていました。
香港遠征
日曜早朝の便で羽田を出発する予定も、遅延に遅延を重ねて結局3時間も出発が遅れました。
その3時間で香港のどこかを観光できたんじゃないかと思いながら、香港着いてからはホテルに荷物を置いて早速スタジアムに向かいました。
実は、この時はまだ横断幕を掲出してもいいかどうか分かりませんでした。
というのは、香港プレミアリーグではドラム・フラッグ・横断幕は全て香港FAに申請して、許可が降りたもののみスタジアムに持ち込み可能となっていたからです。
「弾が戦争を想起させるからNGって言われたらどうしようハハハ」と出発前に冗談言っていましたが、結果的にスタジアム入場直前に持ち込みの許可が出てくれて本当に安心した…
ホッとしたのも束の間、選手がピッチに入ってきてアップを始めても、上形の姿が見えません。
スタメンとベンチ入りメンバーの発表でも名前が呼ばれませんでした。
これがOB訪問の怖いところですね。
せっかく遠いところまで行ったのに、肝心の本人がメンバー外。
これも巡り合わせです。
試合に出られる保証もない競争社会は、香港に行っても変わらない。
後からスタンドに来てくれたので良かったですが、ここ最近の私の運の無さにはさすがに笑っちゃいました。
試合中は昔の思い出を語りつつ、上形選手の解説を聴きながら観戦。
愛媛にいた神田夢実や林堂眞が主力として活躍していたり、おこしやす京都にいたイブラヒムが無双していたり、5-0というスコア以上に見応えのある試合でした。
レベル的には地域リーグ〜JFLくらいだけど、競技として別物と上形が語っていたのが印象的。
もちろん試合でプレーしているところが見られたら一番でしたが、香港でも元気な姿を見ることができて良かったです。
秋春制を採用している香港プレミアリーグはつい先日シーズンが終了。
来季は香港に残るのか、はたまた新天地を求めるのか、どこになったとしてもまた応援に行きたいですね。
その時は上形華撃弾を魅せてくれることを期待!
後日、クラブ公式には日本から香港までやってきたサポーターって晒されていました。
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