暑くもなく寒くもなく、ただこすってもこすっても目がかゆい、前日をそのままコピーしたような日々の繰り返しであるながいながい大学の春休みの中にもこのかゆみのお陰できょうは予定がある、ということを思いながら春子は掛け布団をおもむろにめくってベッドを出た。腰の辺りが重くてだるい。周りのものすべてが表面に膜を張ったような、淡いようなかすんだような景色の中を壁伝いに歩いて洗面所へゆき、まぶたと眼球の間に水を入り込ませるようにして威勢よく顔を洗うと束の間、世界が明瞭になった。これならデジタル機器の発光にも耐えられるだろうと六畳間に戻り、ベッドの枕元で充電していたスマートフォンを手に取る。数人の友人から届いていた誕生日を祝うメッセージを眺めながらながいあくびをして、やっぱり起きたときから耳鳴りがしている、とぼんやり思った。
 低く穏やかな、それは大きな砂時計の砂が音もなく落ち続けてゆくのを連想させるような耳鳴りだった。
 春子は誰にも返信を送らないままスマートフォンをベッドに放り投げ、刺激ばかりが強い市販の点鼻薬を差してから冷蔵庫を探り、飲みかけの野菜ジュースを飲みほした。

 三日ぶりに薄く化粧をして、ハンカチを鞄の中に入れ、マスクのワイヤー部分を鼻に沿うように丁寧に折ってから装着し、春子は家を出る。花粉症の内服薬と外用薬が両方切れてしまったため、耳鼻科の医院へゆくのだった。戸を開けるとぬるい風がまとわりついてくる。空はいちめん薄い雲に覆われて、ぜんたいに白っぽい。春子は口で、限界まで体に空気を取り入れた。きょうから二十歳だ、ということを瞬間思い、また口で息を吐き切るとマスクのせいで眼鏡が曇った。
 大通りから耳鼻科に通ずる道に折れると、見覚えのないのない空間が右手に現れて、春子は一瞬ひるんだ。小さな空き地だった。春子は立ち止まり、辺りを見回して道を違えていないことを確認し、少し歩いてまた立ち止まって、そこにかつて老婦人が営む美容院があったことを思い出す。改めてその空き地に向き直るとそれはどこにでもありそうな、絵に描いたような四角さで、ついこのあいだまで確かに在ったはずの美容院の設備や独特のにおい、その他建物や美容師や客にまつわる諸々を思い出させる名残というようなものはさっぱりみとめられなくなっていた。春子は目を細める。土に雑草、それによどんだ風、そのすべてを包含していま目の前に凛然として在るのは、切り取られた無さ、であって、その無さが、春子に十年前の記憶を連れてきた。春子は物心がついてから一度だけ、福島を訪れたことがあった。
 春子が生まれた日、大きな地震が起こって春子の家、学校、彼女が生まれた助産院を含むその地域はすべて、居住禁止区域になった。春子の家族は避難所や仮設住宅での生活を経て千葉県の郊外に移り住み、春子はその地で言葉を覚え友達をつくり、大学に入ってひとりで上京し今に至る。大学で出身地をきかれると春子は決まって千葉、と答えた。ふるさとといってよかった。
 十歳の誕生日は全国的に感染症が流行しているただ中で、年度はじめの休校措置のしわ寄せもあってか、小学校は通常の授業日だった。ところが春子の両親は春子を自家用車に乗せ、朝から福島に向かった。春子は学校を休んで出かけるという特別な事態に少し興奮していたが、道中の車内では何も話し出すことができずにいた。父も静かで母も静かで、春子はエンジンの音だけをききながら唇に力を入れて靴の先を見つめていたことを、思い出す。
 車を降りると、春子はたくさんの人が集まる中に連れてゆかれた。いま思い返すとそれは慰霊祭であったに違いないのだが、その場で見たもの、きいたものの具体は何も思い出すことができず、代わりに思い出されるのは金属の感触。慰霊祭のあと春子は両親に連れられバリケードの張られた道、そのゆき止まりのところまでいって、父がバリケードを掴んで向こう側を見ているのに倣い、春子もその冷たい金属に触れたのだった。そんな汚いところ触らないの、といつもなら言う母がこのときは一歩後ろで黙って立っていて、また春子は少しの異様を感じた。
「この先へは、いけないの?」春子はきいた。
「うん、いけないんだよ」父がこたえた。
「でも、何もないよ」
「うん、何もないね、ほんとに」父は少し笑った。母も笑った。「ほんとうに、何もないように見えるのにね。ここと、向こうと、何が違うんだろうね」
 帰りの道中、車を一時間ほど走らせた辺りで「はーちゃん、どうだった? 福島」と母が助手席から前を向いたまま、ゆったりとした声で言った。言葉に詰まって黙っていると母が振り返るようだったので、春子はとっさに寝たふりをした。少しの間があって「寝ちゃったか」と声がし、それからはみんなで、ずっと静かだった。暗闇の中で感じていたエンジンの振動を懐古すると再び耳鳴りが意識されて、春子は鞄を肩に掛けなおしてから耳鼻科に足を向けた。

 耳鼻科の待合室には十人ほどの人がいた。目のかゆみにスマートフォンを見ていられなくなった春子は、前の座席(座席は平行に配置されていた)に座る女性の後頭部を見ていた。女性は一歳に満たないくらいの赤ちゃんを抱いており、育児で暇がないのか明るい茶色に染められた長い髪は乱れている。春子はまたなくなってしまった美容院のことを思い出す。
 春子はその美容院に入ったことはなかったが、かつてそこに通っていた大勢の人の髪がいまなお伸びつづけているさま、そしてその髪が日に日に不格好になり、やがて他の美容院で形を変えることになるという一連のさまを、思った。目の前にある乱れた髪に触れてみたくなるが、手は伸ばさずただぼんやりと眺める。この髪も少しずつ伸びては少しずつ切られて、新陳代謝を繰り返しながらいずれはいま見えているすべての部分が切り落とされてしまうのだ。ふいに赤ちゃんが身をひるがえして、女性の肩の上から顔をのぞかせた。赤ちゃんが春子を見つめるので、春子も見つめ返す。幼い子どもは目が合っても逸らさないからつい見つめ合ってしまう、ということを思いながらふと、この子は大人になったときこの瞬間のことを確実におぼえていない、ということが突き付けられた気がした。もしかしたら自分でさえ、数年後には、いや数日後にはもう忘れているかもしれない。そのとき世界に生きている誰ひとりおぼえていないことというのは、なかった、ということと、いったい何が違うのだろうか?
 受付番号と名前が呼ばれて、春子は席を立った。赤ちゃんに手を振ると、その子の黒目がちな目は、もう既に別のところを見ていた。

「ではまたお薬出しておきますね、三週間分です。どうぞお大事に」
 褐色の肌をした若い男性医師がはきはきと言って、診察はあっけなく終わってしまった。待ち時間の長さが冗談かと思えるようなかんたんさだった。
「あの、鼻に吸入するやつって、このあとやると思うんですけど、あれをやるために定期的に通うことってできますか?」
 春子は、いつも診察のあとに機械で鼻に薬剤を吸入する治療を受けるのが、好きだった。
「ああ、ネブライザー治療ですね」医師はまたゆっくりと抑揚のある声で言った。「どうしても受けたいという場合は来ていただいても構いませんが、面倒だとも思いますし、特にアレルギー性鼻炎の場合はきょうお出しする点鼻薬を差したりしながら、ご自身で症状を和らげていくのがよいかと思いますよ」
 医師は目で笑った。顔の下半分がマスクで隠れていても笑顔だとわかる、それは完璧な笑みだった。春子はなぜか気後れしてしまって、腰を上げるのと同時にお辞儀をし、早足で診察室を出た。
 ネブライザーの管の先を鼻に刺し、春子は壁に向かって五分間、おとなしく着席する。目の前のポスターに目をやると年歴の上に花粉の飛散量が示されており、スギ、ヒノキ、ブタクサ、イネなどアレルギーの原因となる種々の花粉がほとんど一年中飛んでいることが知れた。春が終わっても、不断に、どこかで誰かがアレルギー症状で難儀している。春子のアレルギーはスギであったから、スギ花粉の飛散量の具合を見てみたらば三月上旬の部がピークを表す赤で塗られていた。この目のかゆみ、鼻の苦しさが一年を周期に繰り返しやってくる、そのことに春子は端的な果てしなさをおぼえる。それから「私の夢は失業することだ」というどこかできいた戦場カメラマンの言葉をちらりと思い出して、口でしていた息を唾を飲むために一瞬とめると、ずっと続いていた耳鳴りがまた意識にのぼってきた。
 さっき先生に相談してみればよかった、と少し後悔して、やっぱり相談しなくてよかったかも、とも考えた。
 春子はポスターから目を外し、残り時間を示すネブライザーのデジタル表示を、それが「0」になるまでずっと眺め続けた。

 処方箋を受け取って薬局を出ると、正面に太陽があった。太陽は雲に隠れていたが、それでもそこに在るということがはっきりとわかるような、そんな明るさだった。
 春子は歩きだしたところで、前方の道の端に綿毛を付けたタンポポが生えているのを見つけた。周りに他のタンポポはなく、綿毛の白がアスファルトによく映えている。春子はそれを摘み、綿毛のひとつひとつを観察した。耳鳴りはまだ頭の奥の深いところでつづいている。マスクをずらして勢いよく息を吹くと、力なく飛んだいくつかの種子はゆるい風に乗って、春子の見えないはるか遠いところまでゆっくりと流れていった。

(東北大学文学部3年、Google Formsに寄稿された文章)


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