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夜勤。また不思議なことが起きた。老人ホームって不思議な場所だ。ここで人との距離を学べている。人との距離じゃないな、正確には他人と接する自分について学ぶ。自分がどう話しているか、声色、表情、話す内容、トーン。姿勢。気を抜くとすぐ調子乗るから。調子には乗って良い。その様な態度をとってしまうのは、身体が自然にそうしているだけで、まずその運動を事実を見つめる。その結果分かったことがある。調子に乗る場合、何らかの反動として調子に乗る。鬱屈、何かを我慢している、その反動として、自分を誤魔化すために調子に乗る様だ。現実を直視することを避けている。これは幼い頃の癖で、染み付いている。この事実に気づくのに、24年かかった。
早口でたくさん喋る人は自分に自信がない証拠、とよく聞く。以前から知っていたことではある。だが自覚してはいたが、全て後から気づき反省し落ち込むだけで終わっていた。これを今は、話しながら、その場で気づけるようになってきたと思う。つまり、俺辛いっすってすぐに伝える。苦しいから、一旦休憩します、とか、寝るとか、疲れたと伝える。真剣に。真剣に、というところも大事で、そこでおちゃらけて、あーー疲れた、とか言わない。大丈夫?を求めるような態度をとらない。とにかく真剣に伝える。真剣に伝えたら、相手も真剣になってくれる。し、自分の中にいる、無意識で我慢してる自分に対しても真剣に優しくなれる。
鏡に映る自分と、心の中の自分は違う。心の中にはいろんな人がいる。野村隆也もいれば野村隆子もいる。野村充代もいる。野村裕隆もいる。清水隆也もいる。それぞれにきっと名前がある。だからこそ優しくなりたい。自分を傷つけないために相手に優しくしてもらうために、相手をしっかり見るために、強く真剣になる。
鏡を見るより、現実を見るより、まずは心を見る。目を閉じて内側に丸い球体を見つけた。それを両手でそっとしたから掬い上げ抱きしめる。クレーの天使の絵が浮かんできた。
弱くて脆くて欲深くて、でもちゃんと心地よさと穏やかさのありかをわかっている。なりたい自分とかクソで、もっと深く自分を知りなさい。すると幼少期の記憶が蘇ってきた。線香の香りと網戸から染み込む風と共に、兄の位牌があった寺、龍山院までの道のり、月に一度、家族全員で車に乗り向かった時間が僕は大好きだった。家族が一つなっていたから。車の中は静かで風だけが吹いていた。いつも怒鳴り合いの喧嘩している父と母も静か。ただただ静かだった。片手にはお供物の花とたべっ子どうぶつを持参して。
母が僕に教えてくれた。子供は1人で良かったと。ただ父は3人欲しがっていた。つまり、僕は兄が生きていたら生まれていなかった。いただいた命だった。そんな自分を心から満たしたあげんと怒られるね。死ぬまでずっと。死ぬまで練習あるのみだね。

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