3月4日

朝ホテルで目を覚まして、横には彼女の姿があり、ほっとする。時間を確認したついでにカメラロールを見るとGoogleマップのストリートビューで写真に映り込む鳩の姿を何枚もスクショした形跡があり驚く。記憶はあるけど一体どうして。これはすごい!と興奮気味にスクショしていた。何が凄かったのか、そこはあまり思い出せない。こんな奇行に付き合わせてしまい申し訳ない。彼女もお酒がすこし入ってはいた。意味は分からないが面白いから大丈夫、と彼女。今は好きな人補正が掛かっているねと自虐的に言うと、そうだねと笑顔で答えてくる。それでまたほっとする。
その後警備バイトへ。今日がおそらく最終日。ショッピングモールの駐車場での通行人と車の整理。これまでは、声を出せない自分を克服するため挨拶や声がけ、アクションを起こすことを意識してきた。出来ないときは落ち込んで、うまく出来たらコツが掴めたかも、と喜んで、その繰り返しだった。しかし今日はそれらをやめた。自分が挨拶したいときにだけすることにした。というよりも何も考えないようにした。でも、ただ黙って突っ立っていると仕事に支障も出る。気持ちの面でも悪い方へ流れていく。頭の中で自己嫌悪がいつの間にか充満している。そこで、頭の中では常に考え続けた。声はかけないが、頭の中でイメージだけはしておく。どんなイメージか。それは数時間後の気持ちが良さそうな自分。
今の自分を起点にして気持ちよさを求めてしまうと、どうしても瞬間的な快楽へと流れてしまう。今すぐ寝たい、ご飯食べたい、椅子に座りたい、携帯見たい、音楽聴きたい、そのような方向へ。それで数時間後の自分は後悔している。それがいつものパターンだ。だからこそ、想像するのは数時間後の自分。数日とか、数年は少し離れすぎている。リアリティがない。実行せずにただ理想像としてしか成立しない。これまでの経験で知ったこと。数時間後の自分を想像。これが案外うまくハマった。始めたばかりで、体の硬さはまだあるが、瞬時の対応に体がさっと動けるようになった。
アニメとかにありそうな、奥手の登場人物が、いざ告白と言う場面で、頭の中で趣味レーションを何度もしてしまい、決心が固まった時には相手がいなくなる、そんな状況が僕の中では頻繁に起きてしまう。時折吃音まではいかないが、言葉に何度も詰まる。それで落ち込むことがある。つまり本音が言えない状態。言いたいことはあるのに表現できとらん。そこから脱するにはどうしたらいいのかと、僕はずっと考えてきた。それが今回少し光明が見えた気がした。体の動きと言葉が一致する。その瞬間、本音が自然と顔を見せる。体の動きこそが本音であると言ってもいいのかもしれない。だからこそ、自分の体の動きを自分の中にいる他者に譲ってはいけない。誰かを気にして、気を遣った結果の行動では、きっと苦しいだけなんだ。それよりも、今の自分の体の動きを信じてみて頭で考えるのを休止し、休憩させて、反射神経で世界と触れるような感覚で生きて見るのもありかもしれない。
とかを一日中考えていた。19時バイト終了。日記をつけるためショッピングモールのフードコートで作業開始。開始早々、眠くなる。自分が書いた文章が気持ちが悪くて消しては書くの繰り返し。

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