4月26日

火曜日。月曜の夜にイラレに触れ、ストレスが溜まり、ふて寝した翌日。

朝、当然気分は下がっている。
母、今日は珍しく仕事が休みで家にいた。まだ寝ていたかったので、母に8時半に起こしてとお願いをし、二度寝。
9時、姉が起こしてくれた。母、すっかり忘れてた、と笑顔。
シャワーを済ませ、股関節にかゆみ止めクリームを塗布。詳しい診断はしていないが、利用者さんに疥癬患者が出てしまったので、おそらく自分もそうなのだろう。飲み薬はすでに服薬済みで、あとは塗り薬で様子を見る。
初期の通常疥癬だと思われる自分でさえ、こんなにも痒みがあるのに、罹った利用者さんはどれほどなのだろうと想像する。自分がようやく当事者意識(に近いもの)を持ち、初めて相手の事を自分事として考える。
その利用者さんは、これまで疥癬の疑いは何となくあった。頻繁に痒みを訴えていた。介護の処置内容では排泄処理の際、痒み部分にかゆみ止めクリームを塗布する決まりだったが、全員がそれをしてきたわけではない。僕自身も忘れることがあった。忘れるというよりもめんどくさがってやらない日もあった。
しっかりしっぺ返しを受けている。神様はしっかり見ている。

大学に行き授業を受ける。レポートの出来が上達したと言われ、自分が成長していることを実感する。最初が酷いので、いまだ酷い出来ではあるが、成長を実感できるのはやはり嬉しい。
昼飯は学食のカレー。美味しくはないが、”あったかい手作り料理”という部分でカバーしている。食堂では毎回一人で食べているので、周囲の人の声や姿が目に付く。特に隣の人。
二人組の男子が座っていた。片方が「おもしろい話があってさ、、」という語り口で始める。この語り口で面白い話をすることは困難でしかない。だからこそ内容が気になって、聞き耳をたてた。最後までその話を聞く。
何がいいたいのかさっぱり分からなかった。聞いてる人は話を聞きながら頷いていたので、どんな反応をするのか気になった。
「何いってんのかさっぱり分からん」
聞いてる人も分かっていなかった。強めに言ったそのセリフに、喋っていた人は黙ってしまった。
面白い話をする、しない以前の問題。何言ってんのか分からない現象。自分もこの現象に陥ることがある。結論がふわっとしている為、過程がごちゃつく。ごちゃついているから、話し方もはっきりせず、ごもごもと聞こえづらい声で話してしまう。
今回の場合は最初の「おもしろい話があって、、」の語り口が一番の問題だとは思うが。
下を向いてご飯を食べ始めた、話していた人に、心の中でエールを送った。

大学からそのままバイトへ。今日も夜勤。
車の中で、バイト終わったら死のうと決意する。すると、昨夜みたテレビで、とある俳優が、辛いときでも笑顔をつくると脳が誤解して徐々に気持ちが回復する「表情フィードバック」について話をしていた事を思い出し、実践してみた。バイト先に鬱々とした状態で行くのも申し訳ないという気持ちがあったので、大声を出して笑ってみた。すると、まず声がでる。大きな声がでると、今の自分の感情を言葉に出来る。そしてその感情に向き合う事ができ、効果あり。死にたい願望はどこかへ消えていた。
これまでも同じようにしてきたことは何度もあったが、辛さを増幅させるだけだった。笑う自分の異常性に恐怖を感じていた。自分が分裂していく感覚があった。
ただ、今回は平気だった。平気だった理由としては鏡を見ずに笑った事、大声を出し、自分の声量に注目出来たことが大きい気がする。
鬱々とした状態だと、その人の姿勢や、表情にも、「らしさ」は出るが、視界には入らないので、自分では理解しづらい。そこで、声だ。声にも「らしさ」は出る。最も出ると言ってもいいかもしれない。声のトーン、話す内容、テンポ。それらは、音なので、自分でも知覚できる。自分で調節ができやすいのだ。
その場に行き、相手に合わせるように声量を上げるのではなく、その前に、自分で上げる。自分の意志で調節する。今日もまた一つ技術を会得したかも。



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