12月1日


高御堂県営住宅。
市内には三つ県営住宅があり、その中で最も古い県営住宅。
昭和46年(1971年)建設。1号〜3号棟あり、1号棟と2号棟は向かい合うように建てられている。
3号棟は少し離れた場所にある。現在は老朽化により建て変えられており、普通のマンションの姿をしている。
昭和40年代は団地が盛んに建てられた時代だった。当時、家賃が民間よりも安いため若者を中心とした入居者が多く、賑やかな場所だったという。幼稚園や小学校がすぐ隣にあり子育てには最適。毎年盆踊りとかしていたらしい。
その当時の一般的な流れとしては数年間ここで暮らして、お金を貯め一軒家を買う、というもの。しかし経済の悪化などにより、そのまま住み続ける人が増加。現在の住民の多くは高齢者が占め、独り身が多い。その為、年に数件、孤独死が発生。寂しさを紛らわすためか、動物を飼う人が増えた。小便禁止の張り紙はそのためである。
また、建物の老朽化により、入居者を募集しても低所得者が中心。少子高齢化も重なり子育て世代はほとんどいない。今では外国人も多く暮らしている。もの寂しく静かな場所。隣の小学校から子供の声がよく聞こえた。
ポストを見ると、その多くがガムテープで塞がれている。見た感じ全然住めそうなので気になった。入居者の募集はどうしているのか。
入居者の募集はしているが定員数を少なくしていた。老朽化した部屋の改修費、退去してもらう際の住まいの費用。
募集しすぎるとこの二つの費用がかなり掛かるらしい。
と、住宅公社の事務所にいたおっちゃんから色々と話を聞いていると、フードを深く被った茶髪の女性が家賃を払いに来た。必要書類が提出できず、家賃を延納中だそう。その人がポッケから出したのは一万円札。おっちゃん、慣れた様子でお金を受け取りお釣りを渡す。女性の家賃は6,600円。最も低い家賃設定だ。
その後、いつでもいいから書類待ってるよ、と声をかけていた。
女性が出ていった後に、おっちゃんにさっきの女性について話を聞いた。両親が外国人で日本語を話せるのはその女性だけ。必要書類に関してはおっちゃんが提出期限を過ぎてもどうにか対処しているらしい。
認知症で徘徊してる人も珍しくない。トラブルは当たり前。
みんな苦しんでいるから、ここに長くいると情が出る、と窓の外を眺めながら教えてくれた。
視線の先には、以前盆踊りが行われていたという広場が。なんか泣きそうになる。
「当時の活気ある記憶が見えた気がしました」
「うん、よく分からんこと言うね君。そもそも古い住宅を見にきている人なんて珍しいよ。今じゃ普通敷地内にすら入れないもんね」
確かに。なんで俺ここにいるんだろうと我に帰る。普通に全てのフロア見回って楽しんでるけど、というか楽しいのに、むしろ誰も来ないのおかしいだろとすら思う。アドベンチャーパークである。と言っても、団地が好きというわけでもない。
自分は一体何に惹かれているのだろう。
この県営住宅を見つけたのは、偶然だった。一度Googleマップで調べて存在だけは知っていたが、偶然、今日、ダラダラとチャリンコを漕いでいて発見した。さっきまで、見慣れた稲沢、日常の稲沢の光景だったはずが、一本道を外れただけで、違和感を含む新しい現実に出会った。
この体験にこそ僕は関心がある。

「そういえば、ここの県営住宅はごみが見当たりませんね。古いのに。僕のところではごみが散らかってますよ」
「ここはね、1、2、3号棟それぞれで自治会が分かれていて、それぞれが機能しているから、ごみがないんだよ」
これには驚いた。住民間で作られる自治会が一つにまとまっているのではなく、三つある。管理する範囲が限定的で、しやすいのと、他の二つと比べることができる為、ゴミが少ないのかも。勿論、老朽化しているから見た目は悪いが、他の県営住宅にいる身としてはゴミの少なさは明らかだった。まあ、こちらが多すぎるだけかもだけど。
他にも自治会は機能しており、日本語が苦手な外国人のサポートや、集会所でのカラオケなんかを行なっているらしい。実際それがどのくらいの頻度で行われているのかは分からないが、話を聞く限り、頑張っている住人はいるみたいだ。
必要書類を持って、さっきの女性がきた。時計を見ると16時過ぎ。ここに来てから二時間が経過していた。
また遊びに来まーすと言って事務所を後にする。

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