2月28日
今年、鳩達は戻ってきた。数年前に張り巡らされた鳩防止網により全く見かけることがなかった鳩達が再び巣を形成している。
鳩には帰巣本能があるという。再び巣を形成したのではなく彼らはただ巣に、家に戻ってきただけなのかもしれない。彼らの家を取り戻す運動は何年間も地道にしかし継続的に行われていた。その継続力を目の当たりにして僕は恐れを抱いている。
ネットで鳩のことを検索すると、こう記載されていた。
「鳩は知性が浅いとされています」
本当にそうなのか、全く信じられない。僕はこの数年間を知っている。そして今再び彼らは戻り子を産み育て写真のように一羽が巣を見守っている。
駅のホームで僕はただただ糞が落ちてこないことを祈ることしかできない。主導権は人間にはない。僕は彼らの足下を生きているのだ。
そんなことを考えながら電車に乗りバイト先へ向かう。変わらない車内の風景。イヤホンはめて景色が過ぎ去るのを立ち尽くして待つだけ。
何かを考えようとしている僕。それは焦りからくる。何かから急かされるように考えようとする。考える、問題を捉える、僕はイヤホンをはめている。
被害妄想、誇大妄想だと気づかずに、仮想敵を作り出しそこに見える問題をどう解決するかを考える時間。それが通勤時間、電車の中で起きていること。
最近その妄想のビジュアルが頭の中でくっきりと誤認し始め現実の感覚を乗っ取る瞬間があるから厄介だ。覚めた時に、妄想の世界の出来事だよな、と理解する。
気がつくといつもの駅を過ぎていた。次の駅で降車。出勤時間まではまだ少し余裕がある。社会に中指立てたい感情を混ぜて伸ばしてほぐすようにゆっくりと歩を進めた。すぐ中指立てたくなる。茶化したくなる。そういうときほど僕は布団の中にいる。又はその様な状態の中にいる。現状の自分を守る手段として無意識的に行う。だが知ってはいる。中指立てても、布団の中にいる限り僕は布団の中にいる僕でしかないということを。でもしてしまう。
地下鉄の改札を抜け階段を登り地上へ出た。不思議と地面が少し高く感じた。パンケーキのように膨らんで見えた。それは頭上から照らすあたたかい陽の光のせいだとすぐに分かった。中指立てたい気持ちはとうに消え、穏やかな空気の膜に包みこまれた。一歩一歩がやたら気持ちが良い。橋を渡ると下を流れる川の音なんかに耳を奪われていたりもする。水面に揺れる鴨親子、川を覗く帽子を被った男、水筒片手にベンチに腰掛ける女。走る車。向かい側には幼稚園。園内からの子供の声に癒されてまた前を向く。頭上からは陽の光。いつでも照らして待っててくれる。
歩き方に変化があった。僕は今日、フィルムカメラを持参していた。仕事の合間、休憩時間、職場を抜けて一人散歩をして撮影した1日だった。
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