11月24日

今日もバイト。8時から17時30分。足場組み立ての見守り。
足場組み立ては、重そうな鉄製の棒や板なんかを使う。それを四人体制で、一から持ち運び壁に沿って組み立てていた。解体と組み立てを1日で何ヶ所も行う。これを連日行っているのだとすると体力はどう保たせているのだろう。組み立て作業をする際の一人一人の連携する様がかっこよくて、バイト中ではあるが、こそっと写真を撮る。
今のバイトをしていなければ、見過ごしていたであろう人達。地方のスーパーの壁の足場組み立てに感動している僕。この瞬間を空間を保存したい。写真撮りたい意欲がさらに高まった。
バイト後は渡辺と夕食。名駅西口で待ち合わせし、満珍軒へ。ここの卵とじラーメンが抜群に美味い。これまで食べてきたラーメンで一番。渡辺が知っている美味しい店は本当に美味しくて、彼の選別力、というのか、センサーには憧れます。
21時帰宅。祖母と母が風呂に入っていた。風呂から悲鳴。祖母が風呂場で失禁。浴槽内ではなく、風呂場の床だったので大惨事には至らず。掃除をする母。
そのことを布団に横になりながら、萌みとの電話で報告したら、電話してる場合じゃないでしょ。早く片付けに参加しなよと言われ、我に帰る。
風呂場なので母は裸で、手伝いをする、と言っても何もできはしないので、布団に横になって電話をかけていたのだが、そのことを笑って電話している僕は、冷静になってみるとおかしいなと、我に帰った。
心配はした。なんならばバケツに新聞紙を詰めて風呂場の前に置いておいた。行動としては最低限してはいる、のかなとは思うが、同時に、僕は笑っており、それはつまり、浴槽での出来事に関して、他人事のように思っている自分が存在している事の証明だった。家族の、祖母の事であるのに、他人事。うまくまとめることが出来ないが、自分のことが恐ろしくなった。祖母が風呂でうんちした。家族内でも笑い話になることではあるので、その事態に笑ってしまった自分が怖いということではない。怖いのは、母が掃除をしている最中に電話をして笑っている、ということ。一息ついて、実は昨日こんなことがあってさ、という様な過去形、ではなく現在進行形のことに関して、僕が他人事のように話していることが恐ろしくなった。今まさに事態が起きている。思い出したことがある。母が父親に殴られている時だ。今正に、母親が父に殴られている、その最中、僕は物置部屋で漫画を読む。笑っている。普通に過ごす。そんなことがあった覚えがある。我に帰った。
そうか、この場合、というか普通は、心配が持続しているものだよなと。何か手伝えることはあるか聞くのが自然だったかと。僕はそれが出来ない人間なのかと、わかった。
気持ちの悪い人間なのかもしれない。でも、そう育ってきてしまった。どうにか改善できるかな。寝る前にそのことばかり考えていた。萌みの言葉が反響している。

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