ファーストペンギン活動報告2。その後の心境の変化
8月9日。
長崎に原爆が落とされた日。
こんな日だからこそ、
改めて「戦争・平和について考える会」に
参加してきました。
そして会の中で、最近の私が思うこと、
コロナ感染対策としてマスク着用することが
社会の常識となっていること、
それに対して、私は疑問に思っていること。
正しい情報はどこにあるのか、
何が正しいのか分からなくなってしまった
モヤモヤとした気持ちを話をしました。
そして出た答え。
【私は私の気持ち、想いを大切にして良い◎】
これが大前提にあって、
でも今の世の中、解明されていないコロナウイルスに対して色々な考え方がある。
マスク着ける派・着けない派
ワクチン接種する派・しない派...とかね。
今までの私は、
どの「◯◯派」に属するのかが大事だった。
敢えて言うなら
マスク着けない派・ワクチン接種しない派。
私の周りの友人も、この考えの人たちが多い。
でも、その一方で、ノーマスクで温泉施設に入館しようとしたら、一方的に入館を断られ、ショックだったときに感じた「あれ、私の考え、これでいいのかな?正しいのかな?私のファーストペンギン活動(あえてマスク着用しないと決めた行動)は、人に迷惑かけているのかな?」というモヤモヤがずっとあった。
今日、戦争や平和について考える会に集った皆さんと、このモヤモヤを話していくなかで、スッキリしたことがある。
【自分は◯◯派、なんて属さなくて良い】
→◯◯派という組織に属すると、違う意見の人たちに出会ったときに対立が生まれる。その時々で、相手に合わせて自分がどうするか、一人の人間として「妥協点」を考えればいい。組織に属すると、その妥協点を素直に考えられなくなる。
【自分は、自分の気持ちを大事にして良い】
→そして、自分の気持ちを大事にするように、自分とは違った意見の相手の気持ちも大事に、尊重しよう。そうすれば、対立にはならない。
それを踏まえた上で、
今の私、マスク着用に対してどう思ってんの?
って自分自身に問いかけてみたら
私は、基本的にはマスクはどんな場面でも着けていたくない。けれど、日本という社会で生きていく中で、「マスク着けない人がいるとコロナに感染しそうで怖い」と思っている人たちがいる。私は、この不安を抱えた人たちの意見も尊重したい。だから、今後は、大勢の人がいる場ではマスクを着けることにする。だって、「怖い」と、不安を感じている人に思いやりの気持ちを持って接したいから。
ただ、少人数だったり、気のしれている仲間内なら「ねぇ、私マスク着けたくないんだけど、外してもいいかな?」と言う人でありたい。もし、仲間の中で「それはちょっと...」とためらう人がいるなら、その人のためにマスクを着ける。その人を「えぇー?!マスク着けなくても、本当は大丈夫なんだよ?あなたも外しなよ。」なんて強要は、絶対にしない。そして私も強要されたくない。
どうやら、
私に足りないのは
柔軟さ。
柔らかさ。みたい。
正しいとか、間違ってるではなく、
それもあり◎と認める器のデカさ。
自分の主張を、根拠となるデータを用意して、
強く、ハッキリ言えば良いってもんじゃないんだね。
分からなかったよ。
自分の意見と合わない人に出会ったとき、
いつも眉間にしわ寄せて、声を荒げてた。
強い主張は、同じ強さで叩かれるね。
そうではなく。。。
細々とでも、
根拠となる数値やデータも、はっきりしたものはないけど、それでも「私、嫌なものは嫌なんです。マスクも戦争も...」と言えるような、絶やさない草の根活動、【大前提の私の気持ちはブレないぞ】という姿勢で、この日本という社会を生きていこうと思いました。
『私、これだけはどうしても嫌なんだ』の伝え方は論破する以外にもあるんだね。
映画や舞台で表現するとか、
本にしてみる、漫談にする、芸にする...とか。
ユーモア・笑いで伝えることもできるんだね。
今日の「戦争・平和について考える会」で学びました。
今までは「自分らしく生きていくために」娘には、徹底してマスク着けないお母ちゃんの背中を見せていた。
そうではなく、
なんだか、まぁるくなって敵が減ったお母ちゃんの背中を見せていこうと思う。
そして、娘にも「柔軟さ」をもって、
敵を作らない人になってもらえたらいいなと思う。
そんな子どもたちが増えたら、
きっと平和な世の中になるよね。
ネットやSNSに自分の意見を言いっぱなしにするのではなく、意見の違う人と、どれだけ語り合うことができるか、そして、自分がどれだけ相手の気持ちになって考えられるか...
難しいけれど、
私はこう思ってるよ、あなたはあなたの意見があるんだね。という話し合いの場ってすごく大事だなと思いました。
ここに、正しいかどうかなんて関係ないことなのね。
\\気づきを与えてくれて、ありがとう//