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リ・スタ 56


……  ブチ切れた。

それは、とある春の火曜日。

子供二人が、小学生になった。
その頃から始めた仕事を辞めた。

好きな仕事ではあった。

元々、植物が好きだったし、
マニアックに傾くレベルの
知識も持っていた。

その上に重ねた年月と、
それに付随する技術や経験値。

いつしか、私はその職場の
ベテラン従業員になっていた。

仲間も出来た。

仕事の愚痴や、家族への不満。
そんな事を語り合っては、
ストレスを互いに削ぎ落とし、
支え合いながら働いた。

そして、20年。

小さな不満、
ちょっと大きめの不満。

深海に降り積もる、
マリンスノーのように、
静かに静かに積み重なった
我慢という名の細かな澱(おり)

その上に、

ドン!!

その日、決定的な怒りが落ちて、
心の芯が、ポッキリ折れた。

辞める。

この職場を去る。

これまで、何度となく
フッと点っては消えた、
その蛍のような考えが、
突然、目の前で実体化した。

駐車場の車の中で、
声を上げて泣いた。

ヤメテヤル!!!

もう、何の迷いも無かった。


翌日は、休日だった。

一夜明けても、
決心は鈍らなかった。

朝からスマホで、
仕事を探した。

アテは無い。

ただ、通したい希望の条件。
通勤の短さと、
収入の下限と、
出勤時間。

それを目安に、
どんどん目を通して行った。

そして、
ビビっと来る記事に出会う。

希望を上回る近さ。
希望を上回る収入。
福利厚生の充実度も、
申し分は無い。

ただ、問題は…

「あー、そうですかー」

案の定、
問い合わせた仲介担当は
渋い返事だった。

「やっぱりねぇ、年齢は
制限してないですけど、
50代で、半ばを過ぎますとね」

明らかに、無理と言いたげだ。

「それに、この求人は急ぎで、
すぐにでも来てほしいと
言われておりまして。
そちら、今はまだ退職は
されてないんでしょ?
すぐにお返事出来るなら、
ご紹介できるんですが」

「明日、辞めてきます!」

「え?!」

「明日、必ず最短で
退職できるよう話つけますから!
そしたら、そのお仕事に
申し込ませて下さいますか?!」


一昨日には、
想像もしてなかった。

決断の時は、突然やって来た。

『チャンスの神には、
前髪しか無いんだよ。
出会ったらすぐ手を伸ばし、
前髪を掴むのだ。
すれ違ったらもう二度と
捕まえられないかも知れないよ』


幼い頃好きだった、
少女漫画のセリフが
脳裏に浮かぶ。

56年生きてきて、
あのセリフをこれほど
身近に感じる日が来ようとは!


私の勢いに気圧されたのか、
若い担当者は電話の向こうで、
渋々の体ではあったが、
連絡を待つと約束してくれた。


勝算はあった。

退職の理由は真っ当で、
理に叶っていて、
そして、私を引き留めたり
引き延ばしを計ることは、
会社的にまずいと知っていた。

中学の演劇部で培った能力も
存分に絞り出しながら、
私は、記録的な最短時間で
円満退職を手に入れた。


ブラボー!!私っ!!


怒濤の三日間で、
私は退職と再就職を決めた。

56歳、主婦のリ・スタート。

それは、そりゃぁ勇気も必要。

初めて受ける、リモート面接。
30年振りに袖を通す
リクルートスーツはきつ過ぎて、
スカートのホックが留まらない。

リモートでラッキー!😆

内定をもらった喜び
ハンパなし!

職場見学に着ていくスーツと、
バッグと靴を退職金で買った。


新しい自分が居た。


もう、あの冴えない職場で
仲間と傷を舐め合いながら、
一生働くと思っていた。

そんな、
くすんだオバハンではない
凛とした私がそこに居た。


転職には、エネルギーが要る。

手続きだって、山のように
次から次へと襲ってくる。

それでも、転職して良かったと
この仕事に出会えて良かったと
そう思いながら働くのは
とても楽しい!

そりゃね、

働くとは、
楽しい事ばかりではない。


嫌な事、分からない事
嫌なヤツ、失敗、理不尽。
どこで働いたって、
やっぱりある。

それでも、この仕事は好きだ!
毎日、忙しいけど
やり甲斐も感じてる。

大切なのは、
タイミングと勇気と、
こんな仕事をやってみたい!
その気持ちだった。

遅いと言われ、
無理だと言われ、
自分でもそう諦めていても、
『その時』は
私に訪れたのだった。

働こう。

働くからこそ、休みが嬉しい。

増えた収入で、
遅すぎる貯金も始めた。
前職では出来なかった、
憧れの趣味も始めた。


ねぇ、若者たちよ。

オバサンだって、
ちょっと前まで若かったのよ。

でもね、

オバサンになっても、
スタートは切れるんだ。

だからね?

未来もわりと、
捨てたもんじゃないかもよ?

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