愛されているということ
結局1週間もたたないうちにまた彼の家に泊まりに行った。
今回は、泊まらない予定だったのに、
女の子の日で、バランスが悪くて、些細なことでイライラしたり悲しくなったりした
家族とも久しぶりに喧嘩して、居場所がなくなって、ぎゅってしてほしくて、
本当は実家に泊まる予定だったのに、その日の夜に彼の家に行った。
一週間しかたってないはずなのに、ぎゅってしてくれるのが久しぶりな感じがして、すごく嬉しかった。
その日は彼が甘えたな日だったから、いつもよりもスキンシップ多めで好きって伝えてくれて、ざわざわしていた心が落ち着いた
女の子の日なのって伝えたら、じゃあ大事にしなきゃねって言ってくれて、
いーっぱい甘えていいよっておいしいもの食べて~わがまま言って~あたたかくして寝よ!って言ってくれて
掃除も洗濯もお料理もできて、器用で賢くてなんでもできる彼が私のことを好きでいてくれる。
なにをしてもかわいいって言ってくれる。
彼と一緒に今一緒にいれること付き合っていること、それだけでいままで選択してきたことが肯定されるような気持ちになる。
その日は、女の子の日だったけどちゅーをしていたらそういう雰囲気になって、お互いにした。
彼と顔を近づけるとき、少し高めの彼の鼻が当たるのが好きで、顔のくぼみ同士がぴったってくっつくみたいで心地良かった。
本とか映画とかご飯の趣味とか彼が好きなものは基本的に好きな部類にもともと入っているものが多くて、何が嫌なのかも合うことが多くて、hの頻度も丁度よくて、
こんな人がいるんだあって思って、幸せだった。
でも、実家から彼の家に行くと、自分の実家がどれだけ歪んでいるのかが凄く分かる。
彼の家族が普通を体現しているような家庭で、私の家族はなにからなにまで普通じゃない。
小さいころは普通じゃないことがコンプレックスで隠したくて、見栄張ったり、平気で嘘ついたりした。
父は家のことは何もやらずに声を荒げて母に怒る。
母は言い返すこともなく、ただ謝ることを繰り返して、現実から目を背ける。
趣味も仕事も友人関係も管理されて、生涯のほとんどを育児に捧げる。
母は幸せだったのだろうか。と思う。
こんな人がいたんだと私が彼に思うたびに、母はこの幸せを感じることはないままなのかと思う。
大好きな人に自分を尊重してもらって、大好きを貰って、自分も安心して好きを返せる。
自分の意見を言い合って、刺激し合って、一緒に時を楽しむ。
これ以上の幸せを私は感じたことがないし、多分これ以上の幸せはかなり希少だと思う。
母は優しくて、強い。
だからこそ、そんな母には幸せでいて欲しい。
母の優しさに触れるたびに、何も投げ出さずにわたしたちを育ててくれた事実に気が付く度に、母の育ててくれたから今の自分がこれだけ恵まれていることに気が付く度に、
実感する。
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