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15 会心の1冊

ある本と出合った。

3月に購入しておきながら、ようやくまとまった時間が取れてしっかりと向き合った。衝撃的である。いいから黙って読んでほしいのだ。

とにかく、すぐに読んでほしい。

著者は、「学びの主役である子どもたちが、どれほどの時間をかけどんな内容を学び、そのためにどんな活動をし、どんな力を身に付けるのかを知らないのはおかしいのではないか」と問題提起する。

もちろん、私たちはシラバスに上記の内容を示しているので、この問題提起は大した問題ではなく、著者も「まずは教師の思い描きとしてはっきりと提示することが望まれます」としている。しかし、文章はこの後、以下のように続いていく。一部を引用する。

そしていつかは、子どもたちの手で単元の学習計画を立て、教師に提案するくらいになればいいし、さらには年間の指導計画、つまりカリキュラムを子どもの手で作成できるようになれば、本当に子どもたちに学ぶ力が育ったと言えるでしょう。
第4章 すべての子どもは有能な学び手 より

この文章を読んで、頭を殴られたかのような衝撃を受けた。

ずばり言えば、「主役は子ども!」ということです。
教えるとか指導するとか、偉そうに「先生」ぶるのはもうオシマイ!子どもたちが学びを進めるサポートをするのが私達の役割になります。
04 学びづくりとは?

などと、強く言っておきながら(下記リンク参照)、自分の実践はまだまだ手ぬるい実践だったことを思い知った。

それでも、今まで抗ってきた。

手ぬるかったとはいえ、それでも、今まで所謂「授業」というものに抗うかのように、「皆さんの気付きが、授業を動かすエネルギーになります」とか「最初に感じたことが大切」と言い、学習者主体の「学び」を実現しようと努力してきたつもりである。

東に「先生、これであってますか?」という子どもがいれば、「あなたが感じたことが正解です」と伝え、西に「どうしたらいいですか?」と聞く子どもがいれば、「どうしたいの?」と問い返す。(アメニモマケズ風)

だから、パワーポイントを多用することは避けてきた。というか、使えなかった。なぜなら、パワポが用意されていることによって、生徒は「この活動の後の展開は決まってるんやね~」と思われそうだから、本当に必要な時だけ、最小限で使うよう心掛けてきたのだ。

しかし、この本は違った。

そんな自分が読んでも、とにかく、学習者が学びの主体となることを、徹頭徹尾、最初から最後まで書いてある。そんな本である。そして、学びの主体が子どもになるよう(これを、子どもが「学びのコントローラー」を持つという表現をしている学校もある)にした結果、個別最適な学びや協働的な学びが実現されていく。

どこを読んでも学習者が主体である。引用したい部分は数多あるし、なんなら1冊丸ごと引用したいくらいである。

というわけで、先日、ある研究会の指導助言の代わりとして上記の部分を引用しつつ、先生方には以下のようにお願いした。


令和4年は「新しい学び元年」です。この1年間の実践の1題材で結構ですから、新しい学習指導要領の内容やその解説を生徒と共有し、どんな学習活動が必要か、どれくらいの時間が必要かなどを一緒に考えてから授業してみませんか?
ちなみに、この手法は、表現領域の学習の方が向いていると思います。鑑賞領域の学習は、思考、判断に関わる知識が学習者の気付きであることが重要だと思いますので、鑑賞領域の学習の気付きを大切にするためにも、まずは表現領域で試してみて、その感想をこっそり教えてください。


きっと上手くいくはずだ。研究会全体の財産となることを確信している。

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