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初めて自分の意志で行った盆踊り~コロナ禍を経験して

2023年8月初旬の新聞に、四天王寺のお盆期間の行事が掲載されていました。四天王寺は私が住む大阪なら誰もが知っているお寺であり、大阪以外の人でも聖徳太子が建立したお寺として認識している人も多いと思います。


・えっ!四天王寺で盆踊り!?

 私は大阪生まれの大阪育ちで、高校生の頃から天王寺周辺はうろうろしているし、20年以上四天王寺から地下鉄で2駅ほどのところに住んでいるにも関わらず、四天王寺で盆踊りが催されていることを知りませんでした…。
 なぜだろう…たぶん子供が小さい頃や、実家があるときは、お盆休みは夫婦それぞれの実家に子供を連れて過ごすことで、他に何かすることを考えるゆとりなどなかったからかもしれません。 
 会社がお盆休みに入るほんの数日前、偶然目にした新聞の四天王寺のお盆行事の広告記事に「8月11日・12日 盆踊り:河内屋菊水丸」という文字を見て、何か心が動きました。子育てが終わり、親を見送り数年経ち、本来の意味の「盆踊り」を直感的に感じたのかもしれません。

・自分の中の「お盆」の変化

 お盆

お盆(おぼん)は、日本夏季に行われる祖先の霊を祀る一連の行事。日本古来の祖霊信仰仏教が融合した行事である。
かつては太陰暦7月15日を中心とした期間に行われた。
明治期の太陽暦(新暦)の採用後、新暦7月15日に合わせると農繁期と重なって支障が出る地域が多かったため、新暦8月15日をお盆(月遅れ盆)とする地域が多くなった。
仏教用語の「盂蘭盆会」の省略形として「盆」(一般に「お盆」)と呼ばれる。盆とは文字どおり、本来は霊に対する供物を置く容器を意味するため、供物を供え祀られる精霊の呼称となり、盂蘭盆と混同されて習合したともいう説もある。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 「お盆は、亡くなったご先祖様が帰ってくる。だから8月13日にお迎えして8月16日にお送りする。」そんな認識で小さい頃からお盆にお墓参りに連れて行かれて、実家の仏壇にお寺からお盆のお参りに住職が来られる…という「行事」をこなし、大人になって子供が出来れば、無条件に同じことを繰り返していました。
 時がたち、自分が両親を見送って、すぐは初盆や法事と「行事」に追われるのですが、それらがひと段落した頃、やっと本来の「お盆」が自分の中で感じられた気がするのです。身近な人が亡くなって、その人たちが帰ってくる。帰ってきてほしい…。

・供養の踊り「盆踊り」

仏教の念仏踊りから由来そもそも盆踊りとは、お盆の時期にお迎えしたご先祖様の霊をもてなし、一緒に過ごして送り出す行事です。 夏のイベントの1つではありますが、ただの踊りではなく神聖な行事といえます。 盆踊りの由来は、仏教の「念仏踊り」だとされています。

ヒューマンアカデミー

 そういえば、神社の盆踊りは高齢のおじいちゃんおばあちゃんがよく踊られています。私が小さいときも、私の子供が小さいときも、その時代の高齢の方が盆踊りの輪に入って踊られる。(町内会や子供向けのイベントは子供中心ですが)親、兄弟、自分の親しい人が亡くなって、その人達を偲んだり、迎えたい気持ちが沸き上がって、踊ってみようという気持ちになるのかなと、同じ立場に近づいて気がついたような気がします。

・今年の「盆踊り」

 コロナ禍で止まっていた夏の行事も、昨年あたりから少しずつ戻ってきていましたが、ほとんど規制がない「盆踊り」は今年からではないでしょうか。子供が大きくなってから遠ざかっていた行事でも、「ああ、やっと普通に「盆踊り」できるんだな。」という感慨がありました。でも、来年はどうなるかわからない。また何かわけのわからないものが流行って、行動が規制されることもある。そうなんです。コロナ禍は当たり前と思っていた日常が、決して当たり前ではないことを学ばせてくれました。いつでも出来ると思っていたことが出来なくなることがある。夏のお盆の時期にどこからともなく聞こえてくる盆踊りのスピーカーからの音も、やぐらの周りに張り巡らされる提灯の風景も、見ることができなかった数年を私たちは経験しました。
 「浴衣、もういつ着れるかわからへんな」
 私の世代は、おそらく嫁入り道具に和ダンスを持っていった最後の世代です。当然、和ダンスの中はからっぽなわけがなく、浴衣はもちろん子供のお宮参りや七五三で着た訪問着など、そのまま入っています。浴衣なら着付けも髪型も自分でなんとかなります。「着てみようか…」そんな気にさせてくれたのは、コロナ禍を経験したお陰なのかもしれません。

・これまでの「盆踊り」のイメージ

 私が育ったのは大阪の下町で、実家の裏には神社があり、そこでは毎年お盆の時期に2日間ほど「盆踊り」が行われていました。(お寺でも神社でも小学校の校庭でも公民館でもやっちゃうのが宗教軽視の日本っぽいところですが)
 今にして思えば、結構本格的な盆踊りで、「音頭取り」と呼ばれる盆踊りの一座の人たちを招いていました。歌い手、太鼓、エレキギター?、三味線?(この音楽担当部分は後年になるほど録音されたものを使っていた気がする)、数人の踊り手という構成の一座で、盆踊りシーズンになると各地を廻られていた記憶があります。
 夕方、明るいうちから始まって、最初は子供向けの踊り、8時頃にアイスクリームが配られたら、子供は終了。そこから大人向けというか、本格的に「音頭取り」さんが歌われます。初めのほうは一座の若手からだんだん上手な方が歌われて、最後に一座の座頭がやぐらに上がられて、歌われます。
 
 しゃがれ声の「河内音頭」。苦手でした。。。
親に浴衣を着せられて、子供の時間帯に「踊ったら」と言われてもそんなに溶け込めず、アイスクリームをもらって、そのまま大人の時間帯の見学をするのですが、あの悦に入りながら歌う姿も、どうも好きになれませんでした。思春期に入れば当然足も遠のき、大人になればご近所の皆さんにごあいさつに出る程度ですぐに退散という感じでした。自分に子供が出来、お盆に実家に帰ると、祖父母になった私の両親は、孫に浴衣を着せ、ご近所にお披露目するために盆踊りに連れて出ます。私も当然ついて行きます。まったくの「行事」でした。
 ただ、結婚して住んだ地域の、いわゆる「公民館や校庭の盆踊り」(すべて録音したテープやCDを流す)を経験して、私の知ってた「盆踊り」ってわりと本格的だったんだ…とわかりました。

・四天王寺の盆踊りに行こう!

 四天王寺という宗派を問わないお寺で、西側の道路を隔てたところにある寺町界隈の一つのお寺には私の両親のお墓があります。そこでの盆踊りであり、しかも記事には「河内屋菊水丸」。テレビにも出演される河内音頭の第一人者としてとても最も有名な「音頭取り」さんです。なんかすごいな、もう最後かもしれない浴衣を着ての盆踊り(勝手に思ってるだけ)にふさわしいやん!と、わりとミーハー気分が先行して、すっかり行く気になったものの、ひとりじゃちょっと恥ずかしい(誰も見てないし、気にする必要はまったくないけど)ので、高校時代からの親友(彼女も和ダンスに着物が眠っているはず)を「もう次に浴衣着るのは棺桶の中(死に装束)」と言って誘うと、同じくミーハー気質で来てくれることになりました。

出陣前の二人 

 子供や孫を連れて行くならまだしも、いい歳した大人が浴衣着て出かけるのはちょっと、いやかなり恥ずかしかったのですが、ここまで来たら行くしかない…。

・お盆の四天王寺に到着

盂蘭盆会の提灯と五重塔

 お盆期間の四天王寺は万灯供養の期間です。お盆の供養をされています。

万灯供養といい、中心伽藍にてローソクを立てて供養します。・特製ローソクには故人のお名前を記入して、火を灯します。・1夜で約1万本のローソクに火が灯される幻想的な供養です。

四天王寺ホームページ

 盆踊りは、四天王寺の中の「亀の池と石舞台」付近で行われていました。
告知されていた盆踊りの時間帯は6時半~8時半。これまで知っていた盆踊りから、菊水丸さんはきっと最後のちょっと出るぐらいと思いながら、7時前に到着したら、なんと菊水丸さんが歌っている!

河内屋菊水丸さん

 なんとなく踊りの輪に入って、見様見真似で踊りながら、菊水丸さんの河内音頭を聞いていると、「国技館」とか「○○関」という言葉があって、どうやら相撲関係のことを河内音頭にのせて歌っているようでした。

隣のお姉さんは上手かった…

 それが終わったあと、MC(というのだろうか…)が入り、これから「聖徳太子一代記」の最終章を披露されるということでした。この盆踊りの最後のお話で、51歳の時に四天王寺に盆踊りで呼ばれたときから「聖徳太子一代記」を、聖徳太子が生まれたときから順を追ってやってこられたそうで、今年がちょうど菊水丸さんの還暦の年で、コロナ禍とかいろいろ乗り越えて、今年がちょうど「聖徳太子一代記」の完成となっためぐり合わせをお話されていました。
 「聖徳太子一代記」の最終章が始まり、河内音頭にのせて、歌われているのを聞くと、そんなにしゃがれた声でもなく、「推古天皇」とか「蘇我蝦夷」という言葉が出て、なかなか歴史好きの私には面白い内容でした。

・盆踊る! 

 菊水丸さんは、2時間、この暑い中、着物を着て立ったまま歌い続ける。すごい体力です。そして、その廻りをたくさんの人が踊っている。こういう盆踊りにはセミプロみたいな○○社中というような日本舞踊か民謡の会の団体みたいな人たちが何グループかいるのが普通かと思いますが、どういうわけか、そういう人たちは見かけず、「菊水丸」の法被を着た人が数人いる程度で、あとは普通の人のようでした。ひとりで浴衣を着て来てる人々、家族連れ、通勤着(ワイシャツで黒い鞄を肩から下げた)の男性、普段着でもちろんOK。外国人観光客と思われる人々も輪に入って踊られていました。
 踊りが上手な人を真似ながら、少し踊っては休む。そして菊水丸さんの歌を聴く。松明が燃やされているのを見て、「迎え火」なんだなと思いました。
 
 亡くなった両親は、盆踊りがちょっと苦手な私がこうして四天王寺で盆踊りをしているのを見て驚くでしょう。実家の盆踊りで孫たちのためにアイスクリームを取ってきてくれた父や、お盆の帰省のためにごちそうを用意して待ってくれていた母。そういう姿を思い出してあげることが、お盆の供養であり、盆踊りの意味なんだと思える年齢になった私でした。

 身近な人や大切な人を亡くされた方が、心穏やかに思い出してあげられる期間、特に何も目立ったことをする必要はなく、ただ、少し日常生活から立ち止まって、心の中で思い出す。それは亡くなった人々のためだけでなく、自分自身の今をちょっと考える良い機会なのかもしれません。

 少しでも多くの人が穏やかな心でこのお盆の期間を過ごされることを願っています。

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