蝦夷共和国独立の流れ
明治元年wikiより
「慶応4年9月8日より明治に改元したが、「慶応4年をもって明治元年とする」としているため旧暦1月1日に遡って適用される。なお慶応4年(明治元年)9月8日は西暦で1868年10月23日である」
蝦夷共和国wikiより
「明治元年(1868年)10月に榎本が函館入港中の英仏両艦長に明治新政府との仲介を依頼した」
「最初に「共和国(リパブリック)」という表現を使ったのは、1868年11月、英仏軍艦艦長に随行し、榎本と会見した英国公使館書記官アダムズだった。彼が1874年に書いた著書 History of Japan において、箱館政庁を "republic" と紹介し、その後、アダムズの表現に倣う者が大多数となった。」
【重要】1874年の段階でも蝦夷共和国は存在し、その後も国際社会ではそう呼ばれた。
蝦夷共和国wikiより
「1868年11月にイギリスやフランスから「事実上の政権 De Facto」に認定されている」
万国郵便連合wikiより
「1874年10月9日、万国郵便条約によって設立された」
榎本武揚wikiより
「榎本が所持していた「本」は、化学の師であるハーグ大学フレデリクス教授が蘭訳し自筆筆写したもので、オランダ語で"Diplomatie der Zee"(「海の外交」)という題名が付けられていた」
海軍中将榎本武揚は西欧を周遊していた。
「榎本は11月8日に両国の艦長および在箱館領事と会談した」
「『事実上の政権(Authorities de facto)』として承認する」という、先の訓示とは異なる内容の覚書を手渡した」