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【考察】増田万吉【備忘録】
1、潜水業の草分け
幕末の生まれで、江戸に出て、火消しを職業としたあと、竹内綱の子の茂の養父である吉田健三が、倉庫番をしていた米国の倉庫の前任者の萬吉は、上総でサルベージの会社を作った。
萬吉は、和歌山の串本で沈んだ、トルコのエルトゥールル号の遺品回収をした潜水業者だ。同僚に賀川豊彦の父純一もいた。
和歌山は、出雲族の雑賀が定住していた土地。雑賀衆は、鉄砲製造・狙撃手、傭兵として、信長vs石山本願寺。秀吉の根来・雑賀攻め。など双方に参戦していた出雲忍者。萬吉も呼ばれたのだろうか。
2、萬吉の故郷
萬吉の生まれは、近江国高島郡朽木。そこは、閉鎖された村だったようだ。萬吉は、村の外にでたかった。普通なら、日本海にでて敦賀あたりで漁師になるそうだ。朽木の若者は、敦賀から船で、蝦夷島から薩摩までの、日本海に面していた港で生活をしていたのかもしれない。
萬吉は、江戸へ出た。田舎から上京した少年は、幕末の江戸で仕事についた。
そこで、萬吉の生まれた村だが、不肖の考察では、出雲散家の隠れ里だと考察する。
サルベージは、海の清掃業。誰にでもできる仕事ではない。
増田は本名ではない。
3、出雲散家とは
出雲族の一部は、ヤマトを追われて、北陸経由で信濃と青森に移住した。近江の高島は、信濃への途中と見るべき土地。信濃は、諏訪大社がある、タケミナカタ富彦が、新しい出雲国を作った土地だ。
出雲散家とは、出雲出身者が、全国に散って、忍者となった者をいう。
職掌としては、出雲王家の諜報活動・医薬製造・鉄や陶器の製造・芸能などを生業として、人里から隠れて生活をしていた。
萬吉も出雲忍者の家系だったと考察する。
出雲忍者は、秘密の仕事についていた可能性が高い。