【考察】新旧出雲と征夷大将軍【備忘録】
1、クナ族の渡来
出雲口伝伝承者によると、ブリヤート人商人に率いられて、インドから渡来してきたクナ族が、津軽に着いたのは、紀元前2000年の頃のようだ。
ブリヤート人は、縄文中期には、既に渡来していたようで、茨城県の中妻貝塚から発見された骨のDNA検査では、バイカル湖周辺のブリヤート人に似ているらしい。
ブリヤート人は、アジアで広く交易をしていて、インドのドラビダ人のクシャナ朝クナ族を率いて渡来してきたわけだが、クナ族の王をクナトノ王という。
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津軽に渡来したクナ族は、青森県の三内丸山を拠点に定住するが、寒冷化の影響で、南下する。
南には、先住民がいたので、日本海側を西へ向かい、砂鉄の多い島根に到達する。
2、出雲王国建国
ブリヤート人と交配を重ね、出雲族となって、島根に到達したクナトノ王の直系は、向家という。出雲は1年を2年とする暦を使っていた。収穫の後の10月には、近隣の豪族が、収穫物を持って奉納に来た。向家の庭は、大庭と呼ばれ、各豪族たちは、子息たちの婚姻を取り決めた。
向家は、豪族からの支援により富を築いたので、以降富家と呼ばれるようになった。豪族たちは、富家の姫を嫁に貰うことを誉とし、その家には、臣という称号を与えられた。臣は出雲王家の親族の証という意味だ。
出雲王家は、富家と分家の郷戸家(神門臣家)による2王統制をしいた。
東出雲の富家から、大名持がでる時は、西出雲の郷戸家から少名彦がでるという取り決めで、世代が変れば、郷戸家から大名持がでて、富家から少名彦が選ばれる。
大名持も少名彦も役職名なので、何人もいる。東出雲の富家の廟には、大名持と少名彦、17人が埋葬されているとのことだ。
紀元前660年に建国された出雲王国は、3世紀に滅ぼされるまで存続した。最後の少名彦は、富大田彦。
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