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40歳以上のサラリーマンに贈る「私はなぜ早期退職したのか」(上)

こんにちは。三十年寝太郎です。
今回は私の名前の由来早期退職の理由についてお話ししようと思います。
と言うと何だか暗い話になりそうですが心配はご無用。
メリット・デメリットも含め、十分に考えた末の決断でまあまあ前向きな話です。
転職経験なし、資格なし、一職種しか経験のない私が早期退職を選んだ話が皆さんの将来の判断に役立てばと思います。

黄金時代の少年期

私は九州の田舎で普通の少年時代を過ごしました。
運動はできないけど勉強はまあまあできました。
凝り性な性格で読書や教養番組を見るのが大好き。よくTVで紹介される「子供○○博士」みたいな感じです。
ところがいつの間にかひたむきさを忘れ、いろんなことに興味が移っているうちに大学卒業。
たまたまその時関心があった「住まい」関連の業界に入ろうと思い、某住宅設備メーカーに入社しました。
そしてこれが私にとっての黄金時代の最後となります。

ブラック企業に入ってしまった!

ハードワークが常態となっていて、トップにそれを改善する気がない会社のことを「ブラック企業」と呼びます。
私が入社したのはまさしくそうした企業でした。
一応は一部上場で全国展開しているメーカーなんですけどね・・・
営業なのにとにかくデスクワークが多かった。
夕方帰社しても退社が「目標24時」みたいな有様で、これは先輩方も同様でしたね。
デスクワークばかりではなく、自分のミスや現場のトラブルでは頻繁に自分で運搬や修理をしなければならなかったです。
でもこれは我が社ばかりではなかったようで、当時同業他社の営業と会話すると大体同じような状況でした。
体質的にかなり遅れた業界だったんですね。
溜まったデスクワークを深夜残業や休日出勤で何とかこなしていくという毎日でしたが、超過勤務手当は入社後20年間1円もいただいていませんでした。

入社20年後の転機

社会人も15年近くやっていると、さすがに「これはおかしい」と思えてきます。
そのころから私は日本企業の問題点やあるべき働き方、マネジメントについて本を読んだり自分なりに考えたりするようになっていきました。
自分が本当に好きなこと、やりたかったこと、やりがいを感じることについても。
そうしたある日、驚きの発表が!

バブル崩壊以降会社の業績はずっと低迷していましたが、ちょうど入社して20年経ったころ遂に競合他社との合併が決まったのです。
もちろん我が社が吸収される方でしたが、相手企業の仕事の仕方は分担制がある程度できていて、ストレスが少しは軽くなるかなと期待しました。

世の中そんなに甘くはなかった

ふたを開けてみれば脆くもその期待は裏切られました。
一気通貫の仕事ではないものの、営業ノルマは今までの倍以上です。
営業の仕事は相変わらず個人任せで、担当先に恵まれないと年50日くらい休日サービス出勤なんてことも・・・

ですがそんなことはまだ序の口です。
辛かったのは「あれはダメ。これはダメ。」という社内ルールの多さ。
ヒラ営業には何一つ決裁権が無いため顧客からの値引き交渉は全て持ち帰りになってしまいますし、内容によっていくつものフォームの違う稟議や申請を上げねばなりません。

とどめは営業スキルアップと称する研修や発表会の連発と、会社側からの一方的な顧客の整理(卸価格の値上げやインサイドセールス部署への移管)です。
売ってくる以外の仕事が爆発的に増えていきます。
「もう付き合いきれない・・・」
そう思ったまさにその時、早期退職の募集が!

今回はここまで・・・

はい。案の定文章が長くなってしまいました。
ここでいったん休憩にしますね。
続きは次回のお楽しみとさせてください。
それでは皆さん、続きもぜひ読んでくださいね!


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