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ただ歩く、日々歩く。

前回、前々回と万人受けとは程遠いネタを扱った結果、驚くほど露骨に数字に反映され、「botにすら反応されない?」と思った。それでも好きなことについて自分語りができたので満足している。
歳が30ともなると、昔よく語り合った友人たちも結婚や子育てに追われ、こういった内容は「なんとなく口にしづらい」と感じてしまうものだ。でもネットなら放り投げられる。それが便利だし、気楽でnoteを選んだ。

そもそも、あれらは「趣味」と言うにはお金がかかりすぎる。
だから同じような環境にいる”無職”や”求職者”と呼ばれる人々の記事を見ると、散歩をしている人が多い。
その感覚や同じ目線を共有している安心感すら感じる。

自分も散歩が好きで、履歴書の「趣味欄」には散歩と書くことが少なくない。
それこそ家の周りだけでは飽き足らず、わざわざ電車に乗って知らない街へ出掛け、そこから数時間かけて家まで歩いて帰るという「ちょっとした狂気の散歩」を何度もしている。指では数えきれないほどの回数だ。これができるのは、交通機関が発達している都市部に住んでいるからこそだろう。

ただ、以前出張で行った九州で同じことをやったときには、少し苦い思い出がある。
夕暮れが迫る野原で一人佇んでいたら、双子コーデの男性が車から降りてきて、「こんばんは〜、今って何されてますか〜?」と声をかけられた。完全に不審者扱いだ。

「歩くと街の顔が見えてくる」なんて、散歩の達人みたいなことを言いたいわけではないが、たとえ自宅周辺でも知らない道を発見することはあるし、知らない街ではその土地の地名を表す建物や、独特な商売をしている店などに出会える。そうした興味の尽きない風景が広がる。

地元を歩いている時は古い喫茶店を見つけた。
店内は昭和の雰囲気そのもので、お世辞にも綺麗とも言えない。
店主曰く「ここ、もう50年以上やってるんだよ」と語っていたが、20年近くそこに居たのに存在を知ることは無かった。
その土地の歴史や人の営みを感じる瞬間が、散歩の醍醐味だと思う。
そして、そんな街を一度でも訪れた経験があると、会話の中で「そこ行ったことあります」と言えるだけで、意外なほどコミュニケーションのきっかけになる。

散歩は自分にとって、ただ歩く行為以上の何かをもたらしてくれている。

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