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うまくやろうとする時間を減らしたら、人間関係が驚くほど楽になった話
「人付き合いが苦手なのは、スキル不足だから」
自己啓発系でよく聞く話です。
僕も長年、そう信じていました。
でも、その考えは根本的に間違っていたんじゃないかと思うようになりました。
「できる人間」を演じ続けた20年間
僕の人生は、ほとんど「うまくやろうとする時間」で埋め尽くされていました。
小学校に入学した時から、勉強はできる方でした。
地元の進学校に合格し、その後は北海道大学にも進学。
親に勧められて始めたチェロも、教室ですぐに「上手だね」と褒められるようになりました。
社会人になってからも、プログラミングを独学でマスターし、ITベンチャーに転職。
その後は独立して、それなりの収入も得られるように。
三人兄弟の長男として、勉強でも、音楽でも、仕事でも、常に「それなりの水準」を保たないと、親から認められないんじゃないか。
そんな気持ちが、ずっと僕の中にありました。
ある動画との出会いが、全てを変えた
そんな中、一本のYouTube動画に出会います。
23歳のインターン生が、プロ奢ラレヤーさんにインタビューをする動画でした。
インターンの彼は、こんな話を切り出します。
「最近の若者は表面的な付き合いが多く、相談できる友達がいないんじゃないでしょうか?宮台先生という方も、そうおっしゃっていて...」
それに対し、プロ奢ラレヤーさんは鋭く切り込みます。
「それは他人が言ってるテーマだよね。君は何を話したいの?」
「偉い人の意見を持ってくるあたり、この場を『うまくやろう』としてない?」
話を掘り下げていくと、彼の本音が見えてきました。
最近彼女と別れ、周りに友達がいないことに気づいたと。
その原因は、「理想の自分像を見せられる時」だけ人と会うようになっていたから。
だから、圧倒的に人と会う機会が減っていった。
この話を聞いて、僕は震えました。
まるで、自分のことを言われているような気がしたんです。
「うまくやらない時間」の心地よさ
考えてみれば、僕も友達付き合いを「完璧にこなすべきタスク」のように捉えていました。
何となく会うにしても、「話のネタ」が必要だと思い込んでいた。
自分が成果を上げた時だけ、わざわざ報告するために会っていた。
友達に褒められたくて、会いに行っているような節すらありました。
逆に、自分がうまくいっていない時は、人に会うのを避けていた。
話題もないし、自分の実情を話すのが恥ずかしかったから。
でも、これじゃあ友達なんてできるはずがない。
そう気づいた僕は、思い切って行動を変えることにしました。
赤坂の小さな居酒屋で、10秒の沈黙に耐える
高校時代の同級生と、赤坂のカウンター席で飲むことになりました。
カツオのたたきを前に、彼は近々結婚することになったと教えてくれました。
それを祝福しつつ、地元の同級生は今どうしているのか。
そんな他愛もない会話を、カウンター越しに交わしました。
時々、10秒ほどの沈黙が訪れます。
でも不思議と、それが心地よかった。
以前の僕なら、その沈黙の間も「次の話題は何にしよう」と必死に考えていたはず。
でも今回は、黙っているときは黙っている。
話したくなったら、また自然に話し始める。
たったそれだけのことなのに、こんなにも楽なんだ。
そう思えた瞬間、目の前のカツオのたたきが、普段の3倍くらい美味しく感じました。
「うまくやらない」という選択肢
なぜ僕たちは、そこまで「うまくやろう」とするのでしょう。
なぜ、自分で自分の首を絞めるような生き方を選んでしまうのでしょう。
特に、学校や仕事である程度の成功を収めてきた人ほど、この罠にはまりやすい気がします。
でも、友達付き合いに「うまくやる」も「へたくそ」もありません。
むしろ、「うまくやろう」とすること自体が、関係性を歪めてしまうのかもしれません。
この気づきは、僕の人生を大きく変えてくれそうです。
これからは、仕事の付き合いとか関係なく、純粋に「会いたいな」と思った人に会いに行こうと思います。
たとえその時、自分に誇れる話題が何もなくても。