慣らし保育。寂しさとの戦いに泣いていたのは私の方だった。
8ヶ月、息子とはずっと一緒だった
息子はもうすぐ8ヶ月になる。毎日毎日ずっと一緒。寝ても覚めても半径数m以内に息子は必ずいた。離れることがあっても、美容院とか束の間の友人とのランチとかせいぜいそのくらいで、時間にして4時間くらい。それ以上離れたことがなかった。
さぁて、復帰に向けて少しずつ
復帰いつがいいかな、そう思い始めたのは確かまだ息子が5ヶ月とかそのくらい、季節は10月くらいだったと思う。
保育園についてちょこちょこ調べ始めると、あれ?ちょっと動き出し遅かった、、?と焦った。そもそも認可と無認可の違いも曖昧だったし、認可保育園の4月入園締切は11月末。それまでに見学やら申込書やら就労証明書やらが必要そう、やばっ。となった。
急いで周辺の保育園を調べて電話をしまくった。コロナの関係で見学に枠数を設けている保育園がほとんどだった。その中で行けるところは全部行った。
そんなこんなでなんとか認可保育園の申込受付には間に合ったものの、そもそも、4月入園&復帰でいいのかな?という迷いがあった。
4月は会社も新体制に変わったり、新しい目標に切り替わっていたりする。そのタイミングで復帰して私はみんなに遅れを取らずに走れるのだろうか?ただでさえ、超未熟なワーママとしての復帰。少し助走してから4月という季節を迎えた方が自分には合っているんじゃないか?と思う自分がいた。
そこで、息子は1月中旬から無認可保育園へ、私は2月中旬から復帰することにした。認可保育園が受かれば4月に転園しよう、という選択をした。幸いにも企業主導型保育園でとても良いところが見つかり、バタバタと過ごしていたら、あっという間に保育園の日がやって来た。そして、ここからが問題だった。
慣らし保育開始、生まれた一人時間
私は仕事と会社が大好きだった。新卒で入社した今の会社。当時40名程度だったところから150名程度になったが、まだまだ業績も組織も発展させて強い会社にしていきたいと思っていた。
だからお休みは1年くらいかなと思っていたところを8ヶ月に前倒すことにしたことは「やっぱりな」と思った。
息子に出来るだけ負担をかけないように慣らし保育は余裕を持って、復帰から1ヶ月前の1月中旬から始めることにした。
最初は2時間からスタート。同い年くらいのお友達がいて、私なんかよりも上手に遊んでくれる先生がいて、息子は泣く事も一切なく初日から楽しそうにしていた。
すぐに2時間半に伸ばしてみて、ミルクもあげてもらうことになった。近くに住む私の両親や姉に日頃から遊んでもらうことの多い息子は人慣れしているのか、先生からのミルクも動じずに飲んでくれた。なんなら、150ccをがぶ飲みした。笑
翌日も同じ2時間半を実施。近くをお散歩したり、室内で玩具で遊んだりとご機嫌そうだったみたいだが、この日はミルクは70ccしか飲まなかった。まあそんな日もあると、ご機嫌そうだから大丈夫かなと見守ることにした。そして、私自身も2時間半という一人で動ける時間が生まれ、スーパーへ行ったり、離乳食のストックを作ったり、仕事のことを考えたりもできて、「この時間は時間でいいな」と思う自分もいた。
それからも2時間半生活を続けたが息子は一切泣かなかった。先生と順調そうですねというお話になり、1週間過ぎから、午睡を挟んだ15時までの5時間半に伸ばしてみることになった。私の抱っこじゃないと長く寝れない息子が保育園で上手に寝れるかな、、、と少し心配だったが、慣れていかねばならないしとやってみることにした。
半日離れるという壁
5時間半の初日、やっぱり息子はあんまり寝れなかった。ミルクもそんなに飲んでいなかった。でもかといって泣くわけではなく、じーっと周りを観察したり、玩具で遊んだりして過ごしていたみたいだった。そのためか、帰りの抱っこ紐では爆睡していた。そしてこの日から私の心境にも少しずつ変化が出始めた。5時間半も息子と離れたことがなかった私は、見送るときのバイバイがとても寂しくて、お迎えのときのニコッと笑ってくれる笑顔に癒されて、息子がさらに愛おしくてたまらなくなっていることに気がついた。半日離れる生活になり、私は完全に息子ロスに陥っていた。
5時間半の2日目。その日の息子はなんだか違った。朝はずっと私のそばを離れず、上着を着せようとしてもおもちゃに夢中なフリをして上着を着ることを避けているような、そんな気がした。いやでも私が寂しいから、私の思い違いかな。考えすぎかな。そう思って保育園へ向かった。
息子を送り届けた後、保育園の前で私は一人泣いていた。自転車に乗っていてもスーパーで買い物をしていても、私は泣いていた。寂しくて寂しくてたまらなかった。息子がどこか元気がないような、今日はお家にいたいよって言っていたような、そんな気がしてならなくて、息子に会いたくて涙が止まらなかった。
保育園は集団生活の勉強になるし、色んな刺激を受けられて、とても良い経験になると思っている。そして復帰する以上は今の生活に慣れていかなければいけない。こんな風に寂しくなってしまうのはまだ慣れていないから。私は葛藤の連続だった。
そんな矢先、保育園から電話がきた。ドキっとした。「〇〇くん、ミルクも全然飲まないし、おねんねも全然しなくて、あと1時間ありますが、ママどうしましょうか、、?」という相談のお電話だった。私はすぐに家を飛び出し、息子の元へ急いだ。
やっぱり息子は一生懸命頑張ってたのかもしれない。。。寂しかったのかもしれない。離れたくなかったのかもしれない。保育園はお友達もいて楽しいし嫌いなわけじゃないけど、お家がいいって思っていたのかもしれない。
そんなことを考えながら保育園の扉を開けると、そこにはそんなときでも泣くことはなく、ただぼーっとした息子が静かに抱っこされていた。そして私を見てもぼーっとしていた。いつもなら私を見つけるなりニコッと笑ってくれていたのに、その日は笑うこともなかった。
そこまで頑張らせてしまっていたのかなと、辛くてたまらなくなった。早く家に帰って、沢山抱きしめて、とことん甘えさせてあげたいと思った。早く息子の笑顔が見たかった。笑い声が聞きたかった。帰り道になってもいつもの笑顔が見えない。焦りでいっぱいだった。
少し急ぎすぎたのかもしれないと反省した。復帰までまだ時間はあるのに、泣かないからといって2時間、じゃあ次は2時間半、じゃあ次は、、と一気に進めすぎたのかもしれない。大人だって新しい環境で1週間過ごしたら緊張だったりで疲れが出てくるのに、8ヶ月の赤ちゃんだ。疲れて当然。なんでそんなことも分かってあげれなかったんだろう。本当にごめんねと思った。
保育園の先生もとっても心配してくれた。ミルクのあげ方を変えてくれたり、トントンしてくれたり、玩具で遊んでくれたり、息子に合うやり方を模索してくれた。とても良い先生達に出会えたなと優しさが沁みた、、。
その日は家に帰ってからずっと息子のそばにいた。沢山私の上で寝かせた。夕方になってだんだんといつもの息子に戻り、夜には笑い声を響かせ、いつものような怪獣に戻り、家の中を荒らして遊んでくれていた。とても安堵すると共に、息子の寝顔を見ながら泣いた。そしてすがるような思いで、会社の先輩ママに泣きの連絡をした。
「保育園に入れてフルで戻るという選択に迷いが出てきてしまいました。。。保育園はとても良い経験になると思いつつ、ただただ私が寂しくて、、。〇〇さんもそうでしたか?」と。
「わかるよーー!私も同じ。そしてこの選択が正しかったのかなってブレブレ。だから一緒にいる時間を濃く、たくさん愛するようにしたよ!子供って不思議なもので、ママが不安になると気づくんだよね。逆にママが仕事を楽しんでると子供も保育園頑張ろうってなる気がする。」
そんな応援メッセージにうーーんと励まされ、気付かされた。そうか。私がウジウジして寂しがってる顔をしてたから、息子にもそれが伝わってしまったのかと。確かに私がニコニコした顔で息子の目を見つめたら、合わせ鏡かのように息子も笑ってくれる。私が笑顔で元気に、そして強くならなければいけなかったなと気づくことができた。
気持ち新たに、笑っていようじゃないか
翌日から、息子の前だけは寂しがるのをやめた。いつものように楽しく朝ごはんをあげて、お散歩がてら少し早く保育園へ向かって、陽を浴びながら抱っこ紐でトントンした。そのあとの保育園は息子も少し前のめりで向かってくれた、ように私には見えた。そしてそんなに急がず、かといって戻しすぎないように、2時間半と5時間半を調整しながらやってみることにした。
まだ慣らし保育中だからまた寂しさで壁にぶつかることもあるかもしれない。でも、きっとこれがベストな選択だと、必ず慣れるときは来ると、そう信じてトライあるのみだと思っている。
慣らし保育は、母にとっても慣らす時間だった
保育園で泣かないかな。ミルクちゃんと飲めるかな。おねんねできるかな。そんなことを慣らし保育が始まる前は考えていたけど、慣らし保育で慣らすのは息子だけじゃなく、母である私の気持ちもだった。前記事で「5分でいいから1人になりたい」と思う自分との葛藤を綴った私からすると、そんな自分になるなんて、正直驚いた。こんなに寂しくなってしまうなんて思っていなかった。
まだまだ寂しさはあるけれど、息子と一緒に、旦那に見守ってもらいながら、慣らし保育を上手に使っていきたいと思います。そして、息子は自分の合わせ鏡だと肝に銘じ、明るい元気なおかんでいたいと思います。