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さしずめ、シェアするリビングのよう。
その店は夜から開店する。
メニューにアルコールは一切無い。
おすすめは甘いチョコレートクランチとあたたかいミルクティー。
ソファと絨毯の店内で、自宅リビングのようにくつろげる。
一人で読書でも、友だちと語り明かしても、見ず知らずの他のお客さんととりとめのない話をしても良い。さしずめ、シェアするリビングのよう。
ちょっとだけヒトリの夜に、ほかのヒトリと一緒に。
cafe 「One LDK」
以下、セルフライナーノーツ
極論、カフェとか喫茶店とかどうでもいい。
私は常々、「いつか喫茶店をつくるんです!」と言ってきた。
ただその一方で、私は喫茶店やカフェへの偏愛があるわけではないと思っている。
好きだけど、カフェ巡りが趣味とか、コーヒーを淹れるのがライフワークとか、そういう愛のある方々とは、ちょっと違う。ズレを感じる。
なにせ私はカフェ巡りは仕事だと思ってるし、コーヒーも「勉強」している。
カフェ街道の王道を進む人たちには、ひたすら畏敬の念ばかりだ。
極論を言えば、カフェじゃなくてもいいとさえ思っている。
あくまで、場所がほしいのだ。
しかし、その場所というやつが、長らく言語化できなかった。
私はなにが欲しいのだろうと。
ずっと考えた末、一つの記憶に到達した。
高校生の頃、実家の居間で盛大に泣いたことがある。
原因は、傍から見れば大したことではない。
ただ、部活を続けるか辞めるか、その2択に悩み過ぎてパニックになった結果だった。
実際、父は私の姿に呆れて、早々に床についた。
そりゃまあ、その気持ちも分かる。
息子が高校生にもなってギャン泣き(しかも傍から見たらしょーもない理由で)していたらそりゃあ、そうなるわ。
しかし母の方はというと、まあこちらもほぼ呆れていたが、ただ、温かいミルクティーを淹れてくれた。
それが泣き疲れた体にはよく染みた。
それ以来、疲れた夜にはミルクティーを淹れることにしている。
苦しいとき、辛い時、私が欲しいのはこういう「ありふれた居間」なんじゃないかと思う。
一人暮らしをして、海外に渡って、その空間にどれほど救われていのたか、今なら良く分かる。
なにか言葉に救われるのではなく、ただ温かい飲み物に身体が温まる。
ただそれだけのことだけれど、それだけで少し気持ちが軽くなることもあるのだ。
苦しい夜、辛い夜に、一人で居てもいいけれど、独りにならない、居間のような場所。
それが今回のコンセプト。
一人暮らしをしているとそういう場所は少ない。
一人暮らしでなくとも、そういう場所が欲しいときもある。
やるとしたら夜明けまで、チャージ制でもいいな。
18歳未満は飲食無料だな。こども食堂的な。アルコールを扱っているわけではないから、多分法律上問題は無いと思うけれど。
駆け込み寺みたいになったら面白いかもな。
ちなみに、余談で蛇足だけれど、結局部活は辞めず卒業までやりきった。
「傍から見たらしょーもない」とは思っているけれど、同じシチュエーションに置かれるのは二度とご免だと、今でも思っている。
「傍から見たら」とか関係ない。
心底辛かったと、胸を張って言える。
いや、胸を張って言うようなことでもないか。
まあ、その話は、またどこかで。
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