見出し画像

父娘展心覚え

父娘展から二ヶ月経ち、忘れてしまわないうちに心覚えに書き留めておきます。

2021年に父が二回目の展覧会をすると決めギャラリーで打合せがあるから、と言われたことから全ては始まりました。三年前の初個展が最初で最後と思っていたので半ば呆れて、それなら私も出展したいと宣言してしまった訳です。ところが2022年の一月に父は作品だけ残して虹の橋を渡り、展覧会業務は丸投げされました。

蔓延防止の自粛期間という事で都内の親族でささやかな送る会を済ませると展覧会モードに入りました。案内状やポスターが出来上がり、ギャラリーのHPで紹介されたり、美術系新聞に載せて頂いたりと、自分の意思を超えたところでどんどん現実が大きく動いていき、経験の無い手探りの日々の中、ふと私は何処へ行くのだろうか?そんな言葉が頭をよぎる事もありました。考えても答えはなく、ただ目の前に置かれた仕事を1mmでも進める事に気持ちを定めることしか出来ませんでした。この経験は私にとって大きな教訓「叩けよさらば開かれん」を残してくれました。
自分の作品の仕上げや備品の用意、各方面との打ち合わせに追われて、ついに搬入、展示日を迎えます。展示自体はプロにお任せしましたが、100点以上の作品を広い箱に上手く収めるだけでも大変な作業で予想以上の時間を要しました。事前に父の手書きのタイトル一覧をたまたま見つけていたのでカードに印刷してキャプションを作り、現場で絵とマッチさせて貼っていきました。特に抽象画のタイトルは難問でヒットさせるには感性に頼るしかありません。タイトルリストも全ては網羅しておらず残りは即興で付けることに。心配していたキャプション付けでしたが、お手伝いの友人と当てっこしたりタイトルを考えたりと遊び感覚で行うことが出来ました。

展覧会が始まれば連日お客様の対応に追われました。父の関係の方々は芳名帳のお名前を見てご挨拶させて頂くのですが、ご高齢の方も多く、お顔を見せて下さるだけで心から有り難いと思いました。私の関係は小学校の同期生たちや大学時代や職場の友人、ママ友やこの数年の間につながった学びの旅友たち。案内状を出しておきながら、本当に来て下さった事にびっくりすることもしばしばでした。何十年ぶりに顔を合わせる昔の職場のスタッフや、ご無沙汰していた様々なジャンル(笑)の知人…。長い時の流れがぎゅっと詰まったような一週間でした。日常を離れて、毎回エンジンかけ直すような日々に身体は疲れていましたが、毎日が天国にいるみたいに幸せを感じていました。
会場で父との別れを心から惜しみながら時間をかけて絵を観て下さる方々から、図らずも父の生き様を見せてもらい、それは通常の葬儀では叶わなかったであろう素晴らしいギフトでした。
また様々なサポートを買って出てくれた友人たちに支えられ、今までご縁を繋いできた沢山の友人、知人がこの展覧会のためにわざわざ足を運んでくださったことがどれだけ有り難く嬉しかったことか…。
展覧会の幕が降りても、父の絵は新しい居場所へと沢山旅立って行きました。それは父とは会ったこともない私の友人たちの元へも。新たな生命を生き始めた父の絵の事を思うと、なんて幸せな絵なのだろうとハートが温かくなります。

父が遺した父娘展という宿題。ほんとうに大変で、ほんとうに素晴らしい宿題でした。たくさんの大切なことを教わり、たくさんの愛を受け取りました。パパの娘で幸せだったなぁ、SNSのネタを提供してくれるパパがもういないのはつまらないなぁ…と思う今日この頃です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?