バランスボールを飼っていた
なぜか物への執着心が人一倍強い。
おかげで部屋の中は物で溢れかえっていて収拾がつかない。
こんまりに会ったら喧嘩になると思う。
小学生のとき、バランスボールを飼っていた。
名前は「バボ」
物心ついた頃には猫3匹と、でかい銀色の、テカテカしてるタイプのバランスボールが我が家にいた。
猫2匹が亡くなって、弟の猫アレルギー発覚で1匹がおばあちゃんに引き取られ、
小学校に上がるころにはバボだけが残った。
近所に友達がいないので、バボとばかり遊んだ。
唯一無二の親友だったので弟にバボを取られるのをひどく嫌がった。
生まれて初めての独占欲だったと思う。
おかげで私は類稀なるバランス感覚を手に入れた。
バレエも習っていたのでどんどん体幹が鍛えられた。
邪魔さえ入らなければ無限に座っていられた。
小学3年生くらいになって、バボが死んだ。
幼い弟が石油ストーブの方へバボを押してしまった。
幸い火事にはならなかったが、バボが一瞬にして焦げながら縮こまっていく景色は今でも忘れられない。
私は弟に泣きながら抗議したけど、母にはリビングにまで持ってくるのが悪い、危ない、と怒られて、ひどく自己嫌悪した。
当たり前である。
そのときの母の冷ややかな目も忘れられない。
たかだかバランスボールひとつにどんだけ思い入れあるの?みたいなちょっと引いてる目。
新しく水色の、テカテカしてないマットなタイプのバランスボールを買ってもらったけど、さすがに名前をつけることはできなかった。
それは明らかに、もう愛着を持ちたくない、という気持ちの現れだった。
バボに申し訳なくて、乗ることもできなかった。
こういう幼少期の、「物」への執着心が大きすぎるエピソードは数えきれない。
小さい頃はとにかく「物」を失うことが怖すぎて、
滅多に話さなかった父に勇気を振り絞って
「私が死んだら物たちはどうなるのか」
と聞いたこともあった。
そしたら父は、
「前にママとの婚約指輪をなくして探し回ったけど見つからなくて、土下座して謝って新しいのを買い直して許してもらったから何とかなるよ」
という至極的外れなアドバイスをくれた。
幼心に「そういうことじゃねえんだよな」と思ったし、指輪をなくす父に引いた。
こういった出来事の数々が、私の
「別れの辛さを味わうくらいなら好きにならない方がいい」
という重傷メンヘラの思想を育てるのに一役買っている。
最近の悩みは、おばあちゃんから「形見にしてね(笑)」と貰った財布や、
元彼が20歳の誕生日にくれて元彼本人にぶっ壊された腕時計を、どうすることもできないこと。
棚の上に置いてるのを見るたびにお腹が痛くなっている二代巨頭。
見るとお腹が痛くなるような物も捨てられないなんて、こんまりが聞いたら発狂すると思う。