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エッセイ:蛍の話
ゴールデンウィークが明けた五月の中頃。毎年、実家近くの田んぼに蛍が現れる。
そんなに水が綺麗というわけでもないのだが。うまい具合に蛍が住みやすい環境になっているのだろうか。
今年もタイミング良く蛍を見ることができた。
まだ時期が早いのか、それほど多くはない。でも、水路の上をゆったりと飛び交う様子は見ていて癒される。カメラの技術がないので、写真に残せないのがもったいない。
去年はかなり数が多かった。まるでクリスマスのイルミネーションのように、あちこちで光っていた。もちろん綺麗なのだけれど、あまりにも多いとなんとなくこわいと感じてしまう。
どうして、どんなところが、というのは具体的に説明できない。とりあえず「こわい」という言葉を当てはめてみたが、それが最適な言葉というわけでもない。
神秘的というか、不思議というか、霊妙というか。綺麗を越えた、うまく表現できない感覚になる。自分の語彙力のなさが情けない。
今回の蛍は「綺麗」と感じるのにぴったりの数だった。わりと近くまで飛んで来るし、手を伸ばして待っていると、指先にとまってくれることもある。これが本当にかわいい。
「この蛍、源氏?平家?どっち?」
ぼんやり眺めていると、母が父に尋ねていた。
「えーっと…」
「あ、向こうにもおる」
父が答える前に母は別の蛍を見つける。母が話をちゃんと聞いていない、というのもあるけれど、父もすっと答えれば良いのに返事が遅い。
毎年、この会話は繰り返されている気がする。そしていまだに源氏蛍なのか平家蛍なのかわからないままなのである。
もしかしたら父も、答えるふりをしているだけで知らないのかもしれない。そして、私も含め気にはなるけれど調べるほどではない、というところが残念だ。
「そこ、おる」
「あっちにもおる」
「あ!おるおる!」
蛍を見ていると、会話はだいたいこれになる。
「なんか、おるおるんじょー言よるな」
去年の母の言葉がなんとなく面白くて、今でも覚えている。
「『いる』『いる』ばっかり言っているね」
という意味だ。
おるおるんじょー
話していると違和感はないけれど、文字にしてみるとなんだか面白い。
おるおるんじょー
一瞬、何のことだかわからない。変な呪文みたい。
今年もおるおるんじょー言いながら蛍を眺めた。そして今日も一匹、そっと指先にとまってくれた。
少しの間、私の掌を歩き回った後、羽を震わせて飛んでいった。しばらくは目で追うけれど、他の蛍に紛れて見失ってしまう。さよなら、元気でね。どの子かわからないけど。
私は何の取り柄もない、地味な社会人だ。
見た目も頭も運動神経も良くない。恋人も友だちもいない。向いていないと気付きつつも、他にできることがないので今の仕事をぼんやり続けている。低賃金で働いている。
アクティブな人から「つまんねえ人生」と一蹴されそうな、地味で残念な人生をおくっている。
でも、自分の掌から蛍が飛び立つ瞬間を見られる人生、というのは、なかなか悪くないのかもしれない。
蛍を見るたびに、そう思う。