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シン・霊体験

 八月ももうすぐ終わろうとしているが、今年2024年は驚くほどの暑さである。そんな訳で自分の心霊体験でも書こうかと思う。

 その前に、まず私個人の心霊に対するスタンスを話しておくべきであろう。酒席なんかで友人と「霊はいるのか/いないのか」といったような話になることはままある。そういった時は空気を読んであまり話さないようにしている。何故かというと「いる/いない」という二元論で霊などといった、いわゆる「目に見えない世界」を語るのがナンセンスだと考えているからだ。

 「いる」かも知れないし、「いない」かも知れない。
 曖昧な態度かも知れないが、「目に見えない世界」にはこれぐらいの心構えでいいのだと思う。「いない」と言ったところで、現代科学でこの世の全てを説明できるとは思っていない。「霊」もその一つではないかと考えている。一方でネットやテレビのどう見ても作り物の心霊写真やオカルト話、陰謀論を無批判に信じる気にはならない。「シュレーディンガーの猫」のように安易に結論づけないことで「いる/いない」を両立させて、各事象に応じて「いる/いない」の答えを使い分けている。まあ、何事もケースバイケースなのである。

 こんな曖昧な態度な人間が「霊を見た」という話を始めようというのは、少し矛盾しているのかもしれないが、話を進める。

出身地である北海道の田舎から大学進学のため上京して十数年。田舎にいた頃はよく「視た」ものである。一番よく見た時期は中学2年生の頃。成長の途上で精神的にも一番不安定な時期なので、今思えば何か見間違いの気がしないでもないが……。

 通っていた中学校では5月下旬に校内陸上競技大会が開かれる。各クラスはそれぞれ学級旗を制作し大会当日はそれを振って応援するのだが、私は毎年学級旗の制作チームに参加していた。

 記憶が正しければ中学3年の5月頃。
 私はその日、学級旗の作業に時間がかかってしまい、所属していた卓球部の部活動に遅れて参加することなった。遅れるといっても時刻はすでに午後5時50分頃、部活動はあと10分程度で終わってしまう。せめて最後のミーティングにだけでも参加しようと廊下を歩いていた。

 通常運動部はグラウンドや体育館だが、卓球部は1階の食堂で活動していた。食堂の真上は音楽室である。2階の音楽室前の廊下をまっすぐ行くと1階に降りられる階段がある。右手には廊下が続き生物室や化学実験室といった理科室類、トイレがあった。
下に極めて簡単な地図を付記しておく。

 音楽室の前を通ると楽器の音は止んでいて、吹奏楽部が終わりのミーティングをすでに始めていた。「早く行かないとミーティングに間に合わないな」などと考えながら歩いていた。もうすぐで下に降りる階段だったのだが、右手の廊下に人の気配を感じた。

 トイレの前――正確には男子トイレと女子トイレの間にある水飲み場――に人がひとり立っていた。遠目で見るとその人は中肉中背で、身に着けていたのはうちの学校の制服でもジャージでもなかった。

 その人影を認めた時は、てっきり吹奏楽部の顧問だと思ったのだが――吹奏楽部のミーティングはすでに始まっている。音楽室を覗くと案の定、吹奏楽部顧問の当時30代の男性教諭がミーティングを進行していた。

「じゃあ、あれは誰だ?」
そう思って再び水飲み場に目を向けるとすでに人影はなかった。

 これが私が今でも鮮明に覚えている心霊体験である。別に霊に襲われもしていなければ、体に悪寒が走ったという訳でもない。ただ霊というのか、“そこに存在しないであろう存在”を目撃しただけである。自分でも書いてて少しも怖くなかったのだが、これはこれでれっきとした心霊体験だろう。

上京してから体験したのは、とある倉庫で働いていた時、深夜に棚卸をしていると誰もいないはずなのに背後を黒い人影が通ったというくらいか……。

上京してから余り視なくなったというのも寂しいものだと思わなくもないが、正直怖がりなので悲鳴を挙げるほどの心霊体験はこれから先も遠慮したいものである。



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