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とある住宅街の家にて。窓に掲げられた「NO WAR」と書かれた旗を見て思う。
平和かどうかはさておき。
今のところ、ドローンで住居が爆撃される可能性は低い日本において。
戦争とは縁が遠そうな住宅街において。
戦争反対と訴えることに意味があるのか。
無くはない。
訴えた結果、戦争が終結する可能性は、ゼロではない。
「NO WAR」と旗を立てることで戦争が消滅する可能性は微粒子レベルで存在しているかもしれない。
やってみなけりゃわからない。
何も言わないのは、何も存在していないのと同じだ。
住宅街に掲げられた旗を見るのは地元民だけだが、それを見た奴がこうしてネット上に文章を残すことだってある。
その文章を読んだ人が情報を拡散することもあるかもしれない。
拡散された情報を海外の言語に訳す人もいるかもしれない。
拡散された件数が膨大になり当事者に伝わるかもしれない。
ワンチャン、当事者たちの気が変わって戦争を止めるかもしれない。
限りなくゼロに近い可能性だとしても、情報を発信することで何か変わるかもしれない。
自分が望む結果に近付くような、何かしら影響を与えることがあるかもしれない。
そんなに欲しいのか、領土。
そんなに実現したいのか、世界征服。
一緒に美味いもん食って、サッカーでもして仲良くなれんもんか。
なれんからこその現状なのだろうけども。
それはそうと。
当事者とか書いてる時点で、自分は部外者だと思ってるわけで。
同じ人間なのにねぇ。
※画像はAIで生成
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