T.W Lesson 92. 「でも、家族が一番でしょう?」とためらう人へ
第92章
But what about family destructions?
「でも、家族が一番でしょう?」とためらう人へ
わたしのコーチングにいらっしゃる方には、家族に時間を割くことが求められ、仕事をしようとしても集中するのが難しく、フラストレーションを抱えている人が、多くいます。
そうした人は、家族の必要なときにはいつも、側にいてあげられるようにしたい、と言います。口癖のように「家庭が一番だから、どんなときでも」と、謳います。
でも、そう言っているうちに、やり遂げると誓ったことを、成し遂げられないことに、とてもがっかりします。
もし、やり遂げるべき特別なことがあるなら、そのための時間をつくるのです。賢く、情熱をもって、つくり出すのです。きっと、家族は協力し、そんなあなたを尊敬の眼差しで見ることでしょう。あるいは、そんなことは、起こらないかもしれません。でも、それは家族の問題であって、あなたの問題ではないのです。わたしたちは、自分の家族に四六時中振り回されていることなしに、彼らを心から大事に、愛することが、できるのです。
ある人のために「いつでも側に」いることは、あなたがその人を愛している証明には、なりません。証明されるのは、その人の自立性とあなた自身の優先事項を、あなたがどれだけ尊重していないか、です。
他でもないあなたが、「やる」と決めたことに、時間をつくってください。
他者に贈ることのできる最大のギフトは、自分が人生を賭けられるライフワークを持つことです。(そしてそれは、過大評価されがちな「共感」よりも、はるかに素敵なギフトです)
(第92章 おわり)
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[訳者あとがきに代えて]
この章は、「母親」の役割意識から自分のやりたい事をやらずに踏みとどまっていた私にとって、読んだ当初、稲妻に打たれたような衝撃を与えてくれた章です。「そうか、子どもも家族も、舐めてたな。わたしがいなくても、彼らはできる。そして、自分の天分で与えられた仕事をやらずに、この人たちのせいにしていては、いけないな」と。個人事業主の届を出して、開業したのも、その直後でした。
コロナ騒動で緊急事態宣言が初めて発令され、自宅待機を余技なくされた2021年4月、自宅で家族に囲まれていると自分の仕事(翻訳)ができず悶々とする中、同じような思いで過ごしている人がいるのではないかと、無料公開した章です。
今回、その翻訳に手を入れてみると、まあ、お恥ずかしいこと。数をこなす中で、「原文の意を汲みつつも、日本語として読みやすい」翻訳をする、という本当に基本的な部分が、ちょっとは進歩したのを、自分でも見て取ることができました。
上記は、今回「本訳」したもの、下記に、1年半前の「仮訳」にも満たないようなものを、載せておきます。人間、これでも「やる」と決めて、歩いてこれるのだな、という小さな小さな、試金石として。
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「ちょっと変わった人」や「生きづらさを感じている人」に――「時間どろぼう」からいのちの時間を取り戻し、自分を信じて、行動してみる、大きなき…
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