2021年9月に、終わったもの
先日、久しぶりにホメオパシーのコンサルテーションを受けた。
主訴等々の詳細は省くとして、手元のエインズワース社のレメディセットを、期限が過ぎて使っていることを笑いながらお伝えしたところ、「全然大丈夫です。レメディは一生ものですよ」と、意外なお返事が返ってきた。
私のホメオパシーキットの Expiry date, つまり使用期限の表示は、2021年9月。思いを馳せてみて、ああ、いろいろあったなぁ、と内に潜る。
教員と翻訳
時はコロナ禍。夏休み明けに学校が休校になって、オンライン授業はタスクを振り分けるばかりで、ともすると一つの価値観とものさしを軸に展開される「学校の授業」に失望することの多かった1学期もあいまって、翻訳の仕事に集中することを決めた。
人のふり見てわがふり直せ、とはよく言ったものだが、過度に成績や評価を気にしたり叱責を恐れたりすると、人の顔色を伺って自分を押さえる術ばかりを学んでいく生徒がいるように思う。「人のふり」から何を見て取るか、それを反映して自分はどう在りたいのか、そういった芯のところがあるから「わが振り」が良い加減で直せる。
そういう「軸」は、家庭や地域での生活の中で、幼少期から身に付けていくものだったのだと思うが、その機能が著しく衰えてしまった今だから、学校教育を人が本当に育つように機能させるのが難しくなっている面が、あるのかもしれない。
話が逸れたが、そういった思いもあって、おそるおそる人と関わるような生徒を育てるような制度を下支えするのではなく、自信をもって主体的に人間をやれる力が若い人たちの中に育つ一助となりたい、という想いをひときわ強くしたのが、2021年9月だったように思う。
翻訳した原書には、そんな「主体的に人間をやる力」を、教育や社会規範の覆いを突き抜けて伸ばしてしまうような、伸ばさずにはおれなくなるような、そんな力を感じていた。教員でいても、その「私の仕事の大目的」は一緒だったが、その時点でもっと深く資するには、こちらだ、と思った。
2021年9月に終わった一つ目のこと:
「受検を目指した教育の一部になること」
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子育ての幻想
これで家庭生活を修繕する方向に動いていたならば、もっと盤石な足場で翻訳という新しい仕事をすることができたのであろう。けれども、それとは反対方向に、私は動いた。
これも2021年春の伏線があっての選択だったから、仕方なしと言えばそうだが、結果的に子どもに辛い思いをさせてしまった。食う寝るところに住むところ、それらを全て可変要因にしてしまい、その渦に子ども達も巻き込んでしまった。
もちろん、当時は善かれと思ってのことだったが、彼女たちの心に与えた傷を考えると、今でも眠れなくなりそうに申し訳なくなる。母親であることは呪縛でもあるのかもしれないが、食う寝る住むを確保して、認めて誉めて包む愛情を与えることは、もう本当に毎日、絶やさずなくてはならない。そんな当たり前のことを、痛感した。
愛情の欠乏感の投げ合いを夫婦でやっていて、それならば関係を断った方がどれ程良いか、と常に思ってきた。それを。思い余って物理的に実践してみたが、社会経済的な基盤がなければ、しわ寄せは弱い存在に行く。地域で子育て、みんなで子育て、地球家族、等々、響きは良いが、じゃあお金を他者と分け隔てなくシェアできるか、といったらそうじゃない。そうすると、経済という火を囲んで同じ釜の飯を食う、その単位は自ずと必要になってくる。そして、ここの人間関係のよしあしで、日々のQOLが定まってくる。
2021年9月に終わった二つ目のこと:
「家族と子育てに抱いていた幻想」
生きづらさの理由がわからないこと
ここまで読んでくださった方の中には、きっと、何を当たり前のことを、と思われた方もいらっしゃると思います。そう、なぜかその「当たり前のこと」が、実際にやってみないと良く分からないところが、自分にはあると自覚しています。
中学3年、進路を考えていた時に、「自分には常識がないから、高校へ行ってよく勉強したら、きっと世のなかというものがもっとわかるようになるだろう」と思って進学を決めたのを、覚えています。でも、その先高3でも同じことを思って大学へ行ったけれど、学部を5年間やっても、どうにも皆が「常識」と思っていることの意味と本質が、良く分からないように思えました。それは、ニュースをいくら見ても、新聞をいくら読んでも、変わることがなかった。
空気が読めないわけじゃない、でも、何となく感じる集団の雰囲気の後ろにある、個々にどういう行動が求められていて、何が彼らをそうさせるのか、そういったあたりが良く分からない不安で、集団にいると緊張する自分がいた。それは今でもあまり変わっていない。みんな、そんなもんなんだろうか?と思ってみたりもするけど、説明のつかない神経の緊張やそれに付随する身体症状が確かにあり、それは多少あれども日常生活に支障をきたしている。
社会人になって、子どもを二人産んで、子どもを育てながら教員になって、子どもたちと夫と自分の特性が見えてきて特別支援教育を学んで、ようやく、何となくだけれど、そうした自分の社会性のなさの理由が分かってきたような気がしていたのも、2021年だ。
「自分の生きづらさと特性について、説明がつかないこと」
これが、2021年、無理やり言えば9月に、終わったことの三つ目かもしれない。
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現在に時を巻き戻す
それから3年経ち、時は2024年9月を迎えている。
猛暑が喉元を過ぎそうな季節、朝7時すぎの空気は、虫の声と秋の冷たい風を乗せて、耳元を撫でている。気持ちがいい。
4月から、特別支援学校で、働いている。
あの子の特性も、この子の特性も、自分も持っているものばかり。
苦手への手立てを、支援を受ける力を含めて少しずつつけながら、
何より発達と神経の多様性を愛でることができたなら、どんなにか良いだろう。ギフトされているものの方が大きいことを感じる。
3年前の淘汰で、私は多くのものを台無しにしてしまった、それまで築いていた美しいものは、全て失われた、と本気で思っていた。
今の場所で、仕事を頂いたことを、心から有難いと感じている。
娘達が元気になってきていることも、わたしは嬉しくて、涙が出る。
終わるものがなければ、今の始まりも、なかったはずだ。
子どもは可塑性があり、レジリエンスも高い。だから、良い方へ変わっていけるはずだ。
大丈夫、大丈夫。
そう、言い聞かせながら、感謝をもって、今日も一日を暮らそうと思う。
最後までお読みくださり、どうもありがとうございました。