【夫婦のかたちと子育てシェア】貧血ワーキングマザーのつぶやき。
こんにちは。茨城県つくば市で兼業主婦をしながら二人の女の子を育てている、スカーレットです。
子どもを産んで10年ちょっとが経ち、その中で子育てと仕事、心地よい暮らしの在り方を模索しながらフルタイムからパートタイムまで職を転々とし、現在は非常勤で週3日と自営業という形を取っています。
決してサクセスストーリーではない、私のどちらかと言えば苦い経験ですが、この記事を通して、夫婦間の家事シェアや家族の在り方について考えていただければ幸いです。
おかーさんと貧血
母譲りの貧血である。
十代からそうだったが、出産したわが子二人には確実に私の血を分け与えた。
既存の「家庭」「母親」にとらわれない生き方を模索して
二人目を産んだ後、既存の「家庭」「母親」にとらわれない生き方を模索するなか、かねてからの夢であった教職への一歩を踏み出した。
県立高校の常勤講師だった。次女は2歳だった。
「講師」は産休代替等のいわば正規職員の代わりで期間雇用されるので、代替している先生の復帰に伴い、1年半で3つ、学校を転々とした。
それぞれの学校で出会いがあり、不慣れで下手な授業ではあったがそれぞれに学びがあった。この三校での経験が現在の私の大きな糧となっていることは間違いない。
(31歳、一番やりたかったから一番失敗したら怖かった道にチャレンジして良かった!あの挑戦を支えてくれた周りの人達には本当に感謝しています)
子育てとフルタイムの両立と貧血
一方、二校目を出る直前で受けた健康診断で、私の貧血は血中ヘモグロビンが一桁になるほどになっていた。二校目が指折りの進学校で、(周りの先生の理解とヘルプがあり他の正規の先生ほどではなかったと思われるが)子ども二人を保育所と小学校へ送り出しながらの勤務は、私にとっては激務だった。
朝ごはんはろくに座って取れず、当日の教材を聴きながら(担当は英語科です)次女を保育所に送り出勤し、お昼もできるだけ前日の残りは詰めるがなければカップラーメン、というひどい有様だったので、仕方ない。それしか食を確保する手立てなく、そして他の手立てを講じる余裕がないほど、慣れない仕事に一心だったのだ。
結果、三校目に赴任したころは、1時間立って授業をするとクラクラしていて、保健室で少し休ませてもらったりしていた。とにかく、家事と仕事の両立が大変で、保健室の先生が話をうんうんと聴いてくださったりすると不覚にもその場でぼろぼろ泣いたりしていた。
身体がしんどいと、精神的にもしんどくなってしまうものですよね。そういうサインに、早く気づいて周りの助けを求める、そういうヘルプを手繰る力が、当時の私にはなかった。要は未熟だったのです。
働くお母さんが助けを求めるヒント
もし、これを読んでいて今しんどい方がいらしたら、心許せる友人でも市役所の職員の方でも良いので、ヘルプを出して欲しいと思います。それが直接支援に結び付かず落胆することもあるかもしれないけれど、倒れざまにでもいいから球を投げ続けて支援にアクセスして欲しいのです。
それから、ネットでそういう人の手記を読むのも、良いのだと思う。コツは、恨みつらみレベルを自分の中である程度昇華して、「なりたい自分」つまり、「幸せなお母さんになる」(←良いサイトが出ます。おススメ!)「お母さん 笑顔 秘訣」「ワーキングマザー 家事 両立 ヒント 無理しない」とかで入れた方が、良情報に当たる気がします。
(決して「夫 家事 手伝わない」等で検索しないこと…!解決策のない、よろしくない意味での魔女会議のような掲示板が出てくるはずです。それを求めていれば別ですが)
わたしのからだに、ちょうどいい塩梅
その後、ご縁があって転勤のない私学で非常勤講師、という今の仕事のかたちに恵まれ、どうにか教職を続けている。
想定外が多い幼児の身支度と食事を済ませ、自分の食事もしっかり確保しながら朝早い決まった時間に出勤する、というのが、私の家庭の事実上ワンオペ状態で、ADHD傾向のある脳をもつ私には難しかった。
だから今、1限には授業を入れないでください、という希望で時間割を組んでいただいている。非常勤のメリットであり、それは期間契約という形態と雇用保障の程度とのオフセットだけれど、時間と健康に勝る資源はない。そして、ありがたいことにそれが現在は選択できる家庭状況にある。
「朝ごはん(と昼ご飯)をしっかり食べることができる」が、わたしにとっては多分、今のポジションの最大の利点であり、また体調を保つのに欠かせない条件なのである。
日経WOMANに出てくるような、スーパーワーキングマザーは、家事も仕事もやりくりして睡眠時間6時間ぐらいでキャリアを築いてたりする方もいて、それはすごいことだと思う。ただそれが良い塩梅かは、きわめて主観的で個人的なことで。自分で何度も梅干し漬けてみて塩加減を調整してくしかないから、メジャーにあこがれの対象となるライフスタイルより、マイナーでニッチな自分市場を開拓し極めてくプロセスが大事なんだろうな、と思う。
マミートラック?
一方で、もっと、働きたいな、と思う「私」がいるのも事実だ。
子どもの世話や家事を、夫と均等に分担できたらどうにかなるかもしれない。なんで、私だけがマミートラックに乗って、夫は家事は手伝いベースでさもそれが最大の家庭に対する貢献と言わんばかりに、存分に働いてるのだろう?(私もお迎え時間とか子どもの病気とかその他もろもろ気にしないで、心行くまで働きたい!)
…と、思わない瞬間がないわけでは(決して)ない。
しかしながらそんな「たられば願望」を仮に抱いたとしても、待ったなしの子育ての前ではそれもやり過ごしながら、どこかで誰かが緩衝帯(バッファ)となって実質の家事育児を担うなり振るなりして、突き進んでいくしかないのだ。時間とはそういうものだ。
必然的に、家事は「それがそこにある」と意識している人の仕事となり、家事を回すその首脳は女性になる、ということが、まだまだままに起こっているのだと思う。
ああ、ジョン・レノンが主夫をしてから、30年余りも経っているだろうに。世の中は天と地を分け隔て、一定の国家や家族の形や所有にこだわり、まして女性と男性をかようにして分断されたままにしておこうとは!
人類の歩みは、蝸牛。でも善き事は蝸牛の速度で改善、している筈。
家事。
それは、時間をかければ愉しい仕事だと思う。これほど生きることと稼ぐことが切り離されていることが主流な社会でなければ、家事イコール毎日を生きて紡ぐこと、という構図に矛盾なくすっと入っていけるのだろうに。
経済的に家庭を支える、という表面上の役割はさておき、その構成員の日々のこまごまやそれに応じてうねる心のひだを把握し、それに働きかける役割をしている存在こそ、影のリーダーと言いますか(笑)旧体制の枠組みでゆ行くと旦那さんや子どもを手のひらで(良い意味で)転がす、嫁であり母でありという存在というか。そういう仕事が大事なのは言うまでもなく。
一方で、じゃあ結婚を解消します、という局面が万が一出てきた時に、そうして家族に時間を割くことに重点を置いてきた女性側が、経済的により大きなリスクを負うことも確かであり。
だから、やっぱり物理的な家事は男女平等に扱えてほしい人類の共通科目だと思う。
そう、強く思う。現在は、まじ不平等。子どものことは楽しく好きで見るけど、きれいごとだけじゃない。物理的な家事にまつわるこの不平等感は何だろう?家事を一個頼んで、やってくれたら「やってあげた」ドヤ感で残り一日仕事部屋にこもっている、なんて、本当にあり得ないyo!
(ほかに何千個もやることあるの…どうか一緒に拾う側になってほしいんだけれど、無理なのだろうか?一つ、一つ、「これやって💛」「ありがとう💛」が必要な領域から、いつか前進するときが来るのだろうか?)。
結論を言うと、男性の意識の変化には5年かかる、が結婚11年子育て10年の私の経験測です(人によるはず!)。その、意識の変化を、おむつにウンチしたおしっこした、その辺で吐いた、きょうだいげんかで片方がまじぴえんになってる、ましてや2時間おきの授乳、といういわば戦時下に、待ってるのは正直無理なので、産後クライシス上等です。あたり前田のクラッカー!!!
こういうの好きなので、もう一度言います。
産後クライシスはあたり前田のクラッカー!
だから、それを避けるために、結婚や今までの家族のかたちにとらわれず、柔軟にゆるいコミュニティをつくれたらいいな、と実現を模索しています。
詳しくは上記の記事で書いていますが、子育ての担い手としてマインドの準備ができている女性が家族に二人以上いる状態を作れたらいいんじゃないか、というのは一つの対症療法だと思います。
そういう、核家族で女性一人に家事育児の負担が集中するのを避けられるような状態を作っておいて、その中で心と時間にゆとりを持ちながら、緩やかな男性の考えの変化を待つ、というのは現実的ではないでしょうか。
そして、失われた地域、っていうのも、何らかの形で再形成されるのが、良いなー、と思っています。子育てが孤独にならないように。子どもがさまざまな世代のさまざまな属性の人と、関われるように、子どもの居場所コワーキングのような場所があると良いなと夢見ています。
菩薩の妻と、阿修羅の妻のつぶやき
観音菩薩でマリア様のわたしは、言います。
「今の形だから子どもをある程度看ながら、かつ仕事もでき、自分の体調も低空飛行ながらも保っていけている。夫は経済面でそれを可能にしてくれている。そう思ったら、ルンバ仕様の融通の利かない夫の頼まれ家事も、長い目で改善を促していける!もう感謝しかない✨」
一方で、阿修羅でカーリー神のわたしは、言います。
「てめぇのちんけなプライドと、妻の笑顔とどっちが大切なんだよ。男の懐の大きさが聞いて呆れるぜ。サイズとか対面ばっかり気にしやがって。一辺絶滅しやがれ。妻の笑顔のためなら、自分の弱さや非を認めて、今・目の前の家事をちゃんと共有してよ。
育児は待ったなしなんだよ。
家事も然り。あなたが私と向き合うのを避けて仕事に逃げてる間に、彼女たちは大きくなり、あなたは彼女たちとの時間を逃す。大きくなってパパ臭い、とか言われても知らんからね!私は、わたしのパートナーには、その成長とそれを支える苦さすべてを共有して欲しいの。わかったかこのハゲ!!!」
…私情の入った乱文、失礼いたしました。
でも、両方の私がマーブルにグレーに混在しながら、毎日が弾むように過ぎていく、そういう子育てのスピード感に翻弄されながら、日々を過ごしています。そんな中で横を向いたら、伴走者であると期待しているパートナーが、ケータイ片手に趣味のページをなでなでしていたら、心が痛くなるのは想像していただけると思います。
これは、あくまでわたし個人が、男性である自分のパートナーを通して、現代社会が突きつける女性の役割に対して抱いた感情を言語化したものであり、たとえ読者のあなたが男性だとしても同じ性別の方だからとすべからく対象として放った矢ではありませんことを、ご承知おきください。
でも、もし何か心の引っ掛かりを感じる方がいたら、それはあなたのプライドによるものなのか、それとも愛によるものなのか、微細な針を立てて感知してみていただけたら幸いです。
また、すべて自分に引き付けたら、こういう一連の経験をさせてくれている夫の態度も、広い視野で見たら愛なのですよね。阿修羅のエゴ的には恨みつらみなのですが、これももうちょっと経つと本当に感謝に昇華できるかもしれない。わたしも、自分の心を見つめ続けたいと思います。
結論:子育ては夫婦間のみでシェアする必要はない。
戻るようですが、これに尽きるのだと思います。
どうぞ、周りの人と世代をまたいで、家族に限らずつながって、楽に子育てできる余裕のある大人が増えますことを祈って、この記事を閉じたいと思います。
子育てシェアは、わたしの一大関心事で、次世代を想うと良くしていきたいことなので、何か感じたことなどがあれば、コメントお寄せいただければ幸いです^^
最後に、この記事のインスピレーションとなった今朝の散文です。
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魂は血の海に眠る
血の海の少なきところ
魂の潜み洩れ彷徨ふ
所在なき魂の片鱗は
その片割れの寝床を探す
魂は血の海に眠る
深呼吸の安寧をその懐に探し
傍に無きは心許なく
所在なき魂の片鱗は
夜に迷い出ず
魂は血の海に眠る
25FEB2021
-scarlett
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貧血で眠りが浅いのです。
それもまた美し
🍀スカーレットのしごと:英書を翻訳しています