ごまあんまんを求めて
あんまん、好きなのです。
この季節に外出すると気づけば冷えている指先に、コンビニがあればどこでも、温かく柔らかいあの愛おしき食べ物を乗っけて温めることができる。しかも、頬張ればそれはまたふわふわしており、中には好物のあんこが…!極楽じゃないか!
一週間ほど前だったか、ふらっと入ったコンビニが置いていたのが、ごまあんまんだった。何だこれ美味しい…。
それからお出かけする度に、指先はやっぱり冷たくなるので、わたしは条件反射的にあんまんを求めてコンビニの扉をくぐる。何の気なしにごまあんまんを探すのだけれど、ない、ない。この4軒ぐらい、訊いてもみたけど、なかった。
今度は意識的にごまあんまんを探してみる。確か、ローソンだったな。ローソンへ当たる。置いてません、置いてません…。おかしいな、検索したら、ネットの品ぞろえにもあるのに。そうか、ごまあんまんは置いているローソンと置いていないローソンがあるのか…!
°˖✧・✧˖°
そして気づくのです。
ないと思えば思うほど、ごまあんまんを求めている自分に。
手元になければないほど、手に入らなければ入らないほど、一度味わったあの味に、懐かしい面影や風景に、人は恋焦がれてしまうものなのだなと。
それは翻訳に集中したくて愛しい人との距離を置けるだけ置いたような、わたしの今回の年末年始の心模様と、とてつもなく酷似していて。
手元にあるあんまんという価値を愛で、有難みを感じ、そのあんまんというエネルギーで自分ができることを思い成せばよいものを、
手の届かないごまあんまんを求めて、わたしの心はともすると彷徨い続ける。ああ、ごまあんまん…!
°˖✧・✧˖°
あんまんも好きで、愛でられることを思い出そう。
それは紛れもなく色々な手で形づくられてそこにある、エネルギーの結晶。
そしてまたいつか、ごまあんまんに逢えることを、心の隅で希望に抱いて、わたしはどうにかこうにか、手を動かすのじゃ。
令和4年1月3日 記