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かわいそうでいたい、幼いわたし。

イライラや感情が高ぶった時に、心の中を覗きこんで、その根底にあるものを見つめている。

やり方は、前回の記事で書いたナイトくんワーク方式で、どうしてその場面で心が動揺してしまうのか、その反応をしなかったらどうなってしまうと思っているのか、自分の心と対話する。

それで一つ気づいてしまったのが、「かわいそうな自分でいることによって、人の注目を集めたい」という心の癖。(イタい!)

中学にさかのぼって、運動神経0なのになぜか入ってしまったバドミントン部、「辞めたいです」とおっかない先輩とかに言うのが怖くって、校庭ランをしてる時に(ああ、あの野球部の球が頭にヒットしてくれれば、それにかこつけて辞められるのになぁ…)と思っていました(笑) 

そのあたりは、5年程まえに感情と向き合うワークのようなものをやって消化したと思っていたのだけれど、どうも未消化部分が残っていた様子。

何だろうなぁ……子どもの頃、具合がわるかったりすると家族からいつもより構ってもらえたのは確か。病院に行くと、看護婦さん(子ども時代はこの呼称だったので、敢えて婦、です)に優しくしてもらえる、そういうものが心地よかったのは確か。

高校生までは看護婦さんが夢だったのも、辛い時に優しくしてもらいたい心の裏返しだった、というのにもその時気づいた。その後の夢だって、チャイルドライフスペシャリストという、入院児の心のケアをする専門職だった。

…ただ単純に、病院が、好きなのか?

今でも、毎月の通院に、あれやこれや、病院にかからなくてはいけない状況を、もしかしたら自分が生み出している?

だとしたら、それによって得ている心の報酬は、何だ?

――わたしは人に優しくされる、受け止めてもらう、ことに飢えている、のかもしれない。正確には、そこが充分には満たされなかった。

どちらかというと、ものごころついてからは、母の聞き役にまわることが多かった。今でもそう。

父は、子育てにはノータッチの昭和な、今で言うアスペルガー的な人で、自分の趣味が関心事だったから、人格的な交流やバックアップが家庭に少なかった、とは言えるのかもしれない。

がっこうは、この空気の読めなさというか、他人に合わせること、人と協力することの意義を30代後半になってようやく分かってきたような発達の遅さなので、それは何だか溶け込めない感がいつでもあった。保健室で、優しい先生がいて、居場所だったなぁ……このへんも、ありそう。

「何か、心身で痛みがあると、人から関心を寄せてもらい、自分のほしかった優しさを得ることができる」

幼い自分は、こんなふうに学習して、それを頑なに繰り返しているのかもしれない。

――

もっと、構ってもらいたかったねぇ、さとみちゃん。
さびしかったねぇ、と話しかけてみる。

今はね、苦しい苦しいって言わなくても、「これがほしい」「はなしをきいてほしい」「やさしくしてほしい」って、人に助けを求められるようになったんだよ。だから、そのために苦しくならなくっても、だいじょうぶなんだよ。

今までまもってくれて、ありがとう。
またおはなししようね。
これからも、そばにいてね。


きょうは、どんな日になるかな?


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