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冷え性、ユッケジャン《ワーキングマザーの土曜の夕食のメンタリティ》

どうも行き詰まり感のさ中にあり、ふと、廊下の段ボール箱に放り込まれていた『原因と結果の法則』を手に取った昨日夕方。

何か疲れていて、夕飯を準備するか否かキッチンで悩むのが嫌になって、二階に上がった時のことだった。

山川鉱矢・亜希子夫妻の訳した文庫版のその本は、力と確信をもって、一文一文、高い振動数で意識に投石するように、印字してあった。

――あ、自分、卑屈になってないか?

確かに特性があって生きづらい部分はたくさんあり、それで苦労してきたことは否めない。そうして線引きして自分を弁護してやらないと、頑張ってもダメな人間みたいで心が辛い。

ただ、そこに居ついて、自分ができない原因を先回りして外に・・探して、いつでも言い訳してないか?自分の内側の性根のところで、人のアクションに対して批判したりムッとしたり、素直に受け取らないでいたり、そういうところ、なかったか?

体調にしても辛い辛い言って、それを自力で改善する試みを、どれだけしていたか?――いや、していたけれど、本気で横縦座臥、できてたか?成らないに甘んじることなく、自制して、の方向でやっていたか?

『原因と結果の法則』は、言ってみれば究極の自己責任論でもあって、正直なところ手放しで受け入れるのは抵抗がある部分もある。生まれ落ちた条件もその人の魂の在り方だから、と言ってしまってはあまりにも酷な場合だって、この世にはたくさんある、と個人的には思う。

だけれど少なくとも、我が家の昨日の夕飯は、チャンスだと捉えることにして、とてもすばらしかったことだけ、記しておきたい。

冷えている、手足が冷たくて身体がしんどくて、夕飯作るのも嫌で……という側面を切り取る代わりに、わたしはこう思うことにした。

「平日働いていて、稼ぎがあって、だからこの寒い土曜の夜に、わたしは温かい韓国料理を外に食べに行き、滋養を着けて元気になるという選択が、誰の許可なくできる」

熱々にもう一つ「熱」をつけたい位のユッケジャンも、お店を営むご夫婦の食堂を営むことへの姿勢もすばらしくて、娘達と三人、とても愉しく美味しく温かい夕食を囲むことができた。まさに、心も体もぽかぽか。

レジで会計しながら手を合わせたい位になれたのも、心持ちによるところの大きさかもしれない。


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すかーれっと/Scarlett
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