澄田綾乃×LUCKMAN写真展 「if...」
「写真展でしか出来ない事」を突き詰めた、攻めに攻めた写真展だった。
ステートメント
地下の展示スペース全面を使って写真の展示、1階のカフェスペースで映像作品を上映。
厳寒の北海道。
吹雪の屋外と、暖かな屋内。
その二つが画面の中で交錯する多重露光も多様して、写真展の物語の被写体以外の主役である「男」の視点と心象を表現。
額装、直貼り、透明なタペストリー、装丁も様々。
照明の落とされた展示空間に、スポットライトで照らし出された作品が浮かび上がる。
タペストリーの下に敷かれたラグの赤が、写真の中の部屋と繋がっている。
撮影者の心象を垣間見るような、空間設計の妙。
撮る側と撮られる側の視線は交わらない。
撮影者として透明であるので、こちらを向いているカットでも撮られる側の視線は少しずれていたり、焦点が合わなかったり。
なんらかの気配を感じて意識を向けたようなカットもあるが、基本的に撮られる側は「一人の世界」に居る。
差し向かいで撮るポートレートではなく、自分でカメラを操作したセルフポートレートでもなく、撮影者を使った自撮りでもなく、覗き見的なものでもなく、透明な何かが、息遣いの感じられる近さで撮ったもの。
腰から下の線を美しく見せるレオタードを纏った、バストアップのカット。
扇情的であるようでそうならない。
こうしたストライクゾーンからボール2/3個分外れた球と、幾つかの見せ球のストライクだけでアウトを27個獲るような、感情の揺さぶり方に頭を抱え、唸る。
澄田綾乃の造形美は切り取りつつ、それは澄田綾乃本人の為のもので、誰かへの捧げ物にはなっていない。
読者、購買者層を意識せざるを得ない、出版物連動型の写真展では成立させにくいやり方であり、ここに来た者だけが目に出来る、体感できる、写真展として完結しているから可能になる体感型のイベント。
鬼面人を驚かす式の外連無しに、ここまで感情を揺さぶる写真展もなかなか無い。
(2024.04.07 記)