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桂文字助師匠の思い出

越谷は大袋の畸人、「倉庫の二階」というのを主催している村田席亭は、見たい芸人に特化した会、例を挙げると「前田隣の漫談の嵐」「晴乃ピーチク大漫談会」「ガッポリ建設一門会」など他では出来ない演芸の会を開催しており、公式カメラマンとしていろいろ撮らせていただいた。

フィルムで撮っていた頃なのでプリントが散逸してしまったものも多いが、桂文字助師匠の独演会は、3回目のものがまとまって残っていたので、何枚か掲出しつつ、文字助師と接近遭遇した夜の思い出を書き留めておくことにする。

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それは4回行われた独演会の何回目かの打ち上げでのこと。
会場の居酒屋には話が通してあって、師匠は指定の菊正宗上撰の一升瓶からちびちびと。
これを怖いもの知らずの客が寄って集って呑んじゃうと言う暴挙に出たもんだからまぁ怒るの怒らないの。

早々にお開きんなって帰る道すがら、今度は当時のお弟子さんがしくじってポカリ。
これはどこかでに引っ掛かってご機嫌を直していただいてからお帰り願うしかない。

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「良い店がある」てんで、東武の曳舟で降りて、駅前の居酒屋へ。
談志師匠のお供を断って内緒で相撲を観に行ってたら、桟敷にいるのを中継で抜かれてバレてしくじった話。
「文字助」と言う芸名の由来(三木助、右女助、文字助で「三助」と言ったとか)。
最初の師匠だった六代目三升家小勝の思い出etc...
酔いが浅い間の芸談や思い出話は実に面白かった。 そこまでは。

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歯が悪いからあまり食べない。 ひたすら呑む。
盃を重ねるごとに目が据わって来る。 目の前にいるのが誰だか判然としなくなってくる。

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うっかり欠伸をして、「テメェ、今アクビしゃぁがったな!!」と逆鱗に触れる。
平身低頭ご勘弁願って、憚りに立った隙に勘定を済ませて、千円札二枚渡してタクシーに押し込んでお役御免。

これで「お旦」として認識されると、赤貧の身としてはツラいな、と思っていたが、後日その時はたまたま居なかった普段のお旦の人に「キューちゃん、こないだはありがとね」と声を掛けてキョトンとされていたと言う話を聞いた。
私の記憶はすっかり抜け落ちている。
嬉しいような淋しいような気持ちで、胸を撫で下ろしたのであった。

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そして幾星霜、桂文字助師匠は亡くなった。
施設に問い合わせても要領を得ないと言う話が弟弟子の立川キウイ師に行き、身内扱いの師が問い合わせたら先月の16日に亡くなっていたとのこと。
当然葬式も何もなく、煙のように消えてしまった。
灰さやうなら。

写真は全て「第三回 桂文字助独演会」(2008.11.02)から。
以下に纏めて置いてあります。

「寄合酒」
https://f.hatena.ne.jp/petri/%E6%A1%82%E6%96%87%E5%AD%97%E5%8A%A9%203/

「試し酒」
https://f.hatena.ne.jp/petri/%E6%A1%82%E6%96%87%E5%AD%97%E5%8A%A9/
「阿武松」
https://f.hatena.ne.jp/petri/%E6%A1%82%E6%96%87%E5%AD%97%E5%8A%A9%202/

今ならもう少し撮りようもあるんですが、それを言っても仕方がない。
合掌。

(2021.11.03 記)

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