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Symdolick特別公演 - OCAWARI SYMDREAM -
色々有り過ぎて唐突だった きゃわふるTORNADO から Symdolick への移行。
不完全燃焼の感はあったが、Symdolick の解散を前にきっちり終わらせるライブを開催。
チケットはソールドアウト。
混乱を避ける為、開場前に事前物販。
早めに現場に着くと、会場前は同窓会と言うか「法事」のような感じ。
あの頃の自分も、遺してしまった思いも、すべて成仏させる為に集まっている。
開場してから何度となくスタッフから膝送りのお願い。
影アナでも文瀬朱からお願い。
近未来会館は舞台が低いので見辛くはあるが、音は良い。
開演する前の段階で、ステージ後方のネオン看板が見切れるくらいには見えない。
この「低さ」不安を感じつつ開演を待つ。
11:55 開演
きゃわふるTORNADO のオーバチュアの花火の音が聞こえたところで既に客が沸き立つ。
一曲目は何かと思ったら
撮可の歌
イベント告知に
【撮影について】
全編撮影禁止となります。
とあったのは確認していたので、「撮可の歌だけど撮禁」なのか「撮可の歌なので撮可」なのか戸惑うが、ステージ上から「撮って良い」の声。
この曲の為に、撮れないライブでも一台は保険で持って行く習慣が出来ていたので、その保険を使う。
碌に撮れないが雰囲気だけでも残したい。
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きゃわふるTORNADOについてはセットリストの発表が無いので割愛。
「Butterfly やらないよなー」 → やらず
「着替えの間繋ぎで にゃわふるとるにゃーど やらないかなー」 → やらず
などの個人的願望が満たされない部分はありつつ、まぁ兎に角楽しい。
呆れるくらい楽しい。 バカバカしいくらい楽しい。
楽しいので煽られても不快には思わないし、そもそも挑発する煽り自体が無い、命令もお願いもしない。
「こうすると楽しいですよ」的な提案型煽り。
2000年代初頭に「mix」なる荒らし行為がアイドルのライブに持ち込まれて以来、私は一貫して「嫌い」なのだけれど、きゃわふるTORNADOの現場で聞くそれには快/不快を感じず、「楽しい」の中にあるものとして自然に受け入れられた。
それが5年の時を経てもそのまま楽しくあったことに私は感動したし、涙すら出た。
宮瀬しおりはMCで一と言も喋らず(※喋る気力も体力も無い)この世の終わりみたいな表情もしていたが、歌って踊る部分ではかつてのきらめきをそのまま放っていた。アイドルには「アイドルとして生まれる人」と「アイドルになる人」が居るが、宮瀬しおりは前者。
存在そのものがアイドル。
別所佳恋はバーレスクで日々踊っている事もあり、動きにはキレを増して歌も伸びやかに。
喉が開いてからが実に良い。
アイドルとしての別所佳恋を演り切り、突然の終わりを迎えたあの日の落とし前はきっちり付けていた。
杏斉ゆか は歌もさることながら「煽り」が実に上手い。
押し付けがましさが無く、客を上手く乗せて巻き込む。
文瀬朱は、この出番だけ「道地文子」に戻る。
神咲くるみはツインテール、石川野乃花は帽子。
見た目の部分も振る舞いも、あの頃の「きゃわふるTORNADO」。
最後は初期からのアンセムであり、キラーチューンでもあった「星空ディスティネーション」で〆。
思いを残していた客の方も、これで成仏できる。
Symdolick への転換(文瀬朱、石川野乃花、神咲くるみの着替え)の間繋ぎに、杏斉、宮瀬、別所でライブ振り返りと裏話。
肩の荷が下りたのと息が整ったのとで漸く喋れるようになった宮瀬しおりがまぁ喋る喋る。
いい意味でテキトーク。 ブランクを感じさせないアイドル性。
準備が整って暗転。
暫くして Symdolick のオーバーチュアが流れ、メンバー登場。
セットリスト
Overture
1. Symdolicxxxxx
2. Psychology
3. あいまい熱帯夜
4. release
5. 体温
6. EGO
7. Regret
8. HANDS
9. 夢見てさようなら
10. JOKER,ACE
11. Caligula
きゃわふるTORNADO との違いを際立たせるためか、「楽しい」寄りの曲は割愛して激しい/カッコイイ系の曲で構成したライブ。
「きゃわふるTORNADO は終わり、Symdolick が始まったのだな」と一曲目から感じる。
楽器の音が粒立って聴こえるオケ、曲間をシームレスに繋ぐイントロ。
金管楽器のように一音目から張った声を出せる雨音凜子、丸みを帯びて甘さもある氷ノ黎。
異なる上手さ/巧さを持つ歌姫二人を擁し、情熱を歌に乗せる神咲くるみ、囁くような文瀬朱、語るが如くな石川野乃花が支える歌。
音楽としての出来は良く、ライブの質は高い、巧くはある。
しかし「好み」ではない。
「かわいい」を切り捨てた時、同時に「楽しい」も置いてきてしまったことを、並べて見る/聴くことで体感。
私の向き合い方も「楽しむ」から「観察する」に変わる。
忠誠心を確かめるように、声出し、シンガロング、光る棒の掲揚などが繰り返し求められる。
提案ではなく、同調圧力を利用した強要に近い煽り。
開演前の危惧は当たり、頭上高く掲げられた光る棒が壁となり、ステージの上はほぼ見えなくなる。
盛り上がりを求めることで、客を醒めさせて行く。
個としては好ましい人々が、集団になるとそうではなくなる。
中盤、「体温」でmixを打つ手合いが現れる。
Symdolick はライブ中の客の振舞いについて、念入りに告知をし、周知して来た。
【Symdolickライブ中の声出しについて】
<ご協力いただきたい事項>
Symdolickのライブは以下の4点を大切にしております。
以下の理念より、著しく逸脱するものは好ましくないと考えております。
従いまして、本公演では、ライブ中のmixを望んでおりません。
その他のコール、オーイングに関しては可と考えています。
ご理解、ご協力いただけましたら幸いです。
<大切にしていること>
・歌詞を体現した空気感
・熱量と一体感
・アイドルの枠を超えたクオリティ
・オシャレ高速な部分(bpmが速いのでビートやグルーブを大切にしています)
これを「是」としない客はそれを理由に離れた訳で、知らなかったからではなく、知った上での狼藉である事は確実。
禁止されたことに不満を持つのも反発するのも自由だが、それはライブを棄損することを正当化する理由にはならない。
ドリンクカウンターの辺りから聞えたので泥酔していたのかもしれないが、それも理由にはならない。
終盤の「HANDS」でもmix。
これは静止が入ったようだが、mixなるものが本来的に荒らし行為であった事を象徴する出来事ではあった。
私は<ご協力いただきたい事項>については賛同しないが、それを是として足を運んでいる客の意思を尊重すべきである事は自明。
予兆があった所で叩き出すべきだったと私は思う。
「EGO」
この曲を始め、「良く出来ているけれど好みではない曲」から「どうでもいい曲」にシフトして行ったのが末期Symdolickだった。
技巧の為の技巧で作られた駄作、歌い上げられるほどに心は醒めて行く。
絵に描いたような同床異夢。
「Caligula」
「私達はこうです」「さぁ楽しいでしょう?」の押し付けに耐えられない。
しゃがんでやり過ごす。
客の足だけが見える視界。
違和感の正体を突き止めようと観察し、思索する。
「膝から下でリズムを取っている客が少ない」
手は動いているが、心は止まっている。
結局、統制しようとして統制しきれなかったと言う事。
「楽しさ」を供給しきれなかった為に実り始めていた怒りの葡萄が、そうなって欲しくない所で暴発してしまった。
未だ発表されない「何故終わってしまうのか」についての、幾つか考えられる答えの内の一つではあったと思う。
前半の天国から打って変わった後半の地獄。
後味としては春先のコンセプトライブに近い悪さであった。
それでも、結末は見届けようと思う。
(2024.12.15 記)