ユカイハンズ企画展 #009 Minami Kobayashi×Aya Murakoso 写真展《Sfumato》
降りそうな雲行きだったので、バスで早稲田のユカイハンズ・ギャラリーへ。
扉を開けた時に既に嫌な感じはしたのだけれど、実際不愉快だった。
在廊している訪問者が写真を背にして立っている写真展は、写真ではなく撮った人と撮られている人に用のある人向けのものである事が多い。
この写真展もその口だった。
写真には特に用のない人が、歓談の為だけに其処に居る。
被写体である古林南は、細かく気を回して場内の滞留が起こらないようにしていたが、撮影者の村社彩は全くの無頓着。
率先して来場者と話し込み滞留を起こさしめている。
村社彩がその振る舞いから評価を下げるのは自業自得だが、巻き込まれる古林南も災難である。
写真表現としてはよく工夫されており、展示作品もアクリルで映えるものはアクリルで、パネル貼りしたカラーはそれ自体が作品として出来上がっている。
ハレパネのモノクロームも、モノクロである必然性のあるしっとりした色合い。
総じて悪くない。
然し、展示が雑。 水平垂直に無頓着で、どれもが傾いでいる。
照明の当て方も大雑把。 物販に2灯使っている為ライトが足りず、奥のモノクロ三枚は薄暗がりの中にある。
これの直貼りも汚いのだけれど、暗がりなので目立たぬ不幸中の幸い。
作品を仕上げるところ迄で思考が止まっており、どう見せるかについて何も考えていない。
見せ方についての工夫は感じられるが、それが展示した場合にどう見えるかについての客観的考察がなされていない。
ユカイハンズ・ギャラリーは、写真を見て貰う場所としては良く出来ているが、歓談する場所としては全く向いていない。
写真を見て貰う事より来場者との歓談に重きを置くのだあれば、それなりの場所を借りれば良い。
「土日は流石に大盛況ですね」と歓談目的の来場者が感心していたが、枯れ木も山の賑わいである。
ご同慶の至りだ。
(2022.06.18 記)