Symdolick 定期公演 歌舞音曲 Vol.19
様々な「これで最後」の詰まった、年末の定期公演。
・年内最後のライブ
・年内最後の定期公演
・最後の「Symdolick定期公演」
・最後の緑衣装
・ツアーや生誕祭などではない、最後の「平場の単独ライブ」
・ワロップで行う最後の平場単独
年明けからは宇都宮、名古屋、大阪、そして川崎クラブチッタでの最後のワンマン。
特別な日々が始まる。
セットリスト
黄色がきゃわふる時代からの曲(2曲)
白がSymdolick移行後の曲(3曲)
グレーが2022年10月の雨音凜子加入以降の曲(7曲)
時系列でみると、2023年の春先以降の曲は好きでは無い物が増え、2024年になると「嫌いですらない曲」が並んで行く。
客の楽しみ方を規制する曲が増えた時期でもある。
解散公表以降の2曲は、何の感興も催さない。 「無」。
撮った写真を整理していて感じた「撮り方が変わった時期」とも符合している。
メンバーを「個」としてしか撮らなくなっている。
「ごめん」から「magical sweetie」の流れで、久しぶりに「楽しかったSymdolick」を思い出すも、「GAME」で一気に興醒め。
と公言しているのに、何故か一曲だけ許可されている「GAME」が一番盛り上がる。
それにメンバーも疑問を持っていない。(持っているようには見えない。)
Symdolickが提示する「見て欲しいライブの形」を客が目の前で否定している事に何の疑問も持たないのだろうか。
mixを望まないのであれば、この曲でも禁止にするなり楽曲を封印するなりすれば良い。 そこまでの覚悟も無いなら客の振舞いを規制すべきではない。
「GAME」の後に、最新曲の「Brighter」。
mixなんざ入れようのない曲。 こう言うのをやりたかったのだろう。
客が勝手に沸く曲と、客に聞き流される曲。 残酷な対比。
聞き流されるのが悪いとは思わない。
こんな曲で音の波に揺蕩うのも心地良い。 放っておいてくれさえすれば。
但し、そこに目に見える形での盛り上がりと忠誠心の提示を求められると話は別になる。
盛り上がり方への注文は多く、しかし盛り上がる事自体は強く求める。
この息苦しさ。
楽しんでいるかどうかと、それを感情や態度として表出するどうかは別の話なのだけれど、何故かくっつけたがる。
演者として「客の反応」が気になるのは当然の事であるが、目に見える/耳から聞こえるものが「客の反応」の全てではない。
mixのような「盛り上がるための盛り上がり」を否定するのであれば、「盛り上がりの確認」も併せてやめるべきだと私は思う。
光る棒を高く掲げさせて忠誠心を確かめる演出の余波は様々なところに出ていて、ステージ上からの要求が無い所でも、客は頭上高く掲げる「習慣」が出来てしまっている。
客の側に「ステージ上から見て貰いたい、見つけて貰いたい」と言う自己顕示の意識が強く働いている現れでもある。
これは撮影席にも波及していて、
頭上高く掲げられると視野が狭くなる→前後の間隔を広く取ろうとする→後ろに下がる→自分も光る棒を高く掲げる→レンズの前に光る棒が付き出される。
この全体に蔓延する「後ろの事を考えない空気」は撮影席にもあり、撮影席の一番前にこの手合いが来ると、撮影席の枠の中の「撮りやすい位置」ではなく「見て貰える位置」に脚立や踏み台を立てるので、後方の客の視界は妨げられる。
更には踏み台の上で踊ったり光る棒を掲げたりもするので、「撮れない」時間が割りとある。
今回は上手も下手もそんな状態だったので、距離を採って壁際を選ぶより、視界を採ってPA席前を選んだ方が撮りやすかったのではないかと思う。
(斯く言う私は下手壁際で地獄を見たのであった)
終盤、ツアーグッズの紹介。
話す内容を簡潔に纏めていないので、長い。
飽きた客が雑談を始めるようなダレ場を作る意味が分からない。
解散を発表してからも新曲を2曲出してくるなど、走り続ける姿勢を示しつつ、ツアーグッズで「思い出作り」にも勤しむ。
このあたりの二律背反性も、客を醒めさせる。
きゃわふる時代の、楽しみ/楽しませる客文化は影を潜め、客がそれぞれにステージ上に自己顕示する「万人の万人に対する闘争」に変わった。
送り手がこのような現場を作り、このような客を育てた。
最後まで客の拡がりを持ちえなかった原因は、楽曲の傾向や質ではなく、客を選び、客に選ばせないプロデュース方針にあったと私は思う。
メンバーそれぞれに「自分の歌」を持ち、聴かせる力はある。
喉の不調で歌唱は控えて踊る事に徹する文瀬朱も、それだけで間が持つ。
「魅せる」事に賭けて、実際客の目を惹き付けている。
その「声の出せない状態」を即席コントにして笑いに繋げる機転とチームワークもある。
頭を抱えてしまうあれこれを無かったことにすれば、楽しめる要素はあった。
パンドラの匣の底に残った何かを、2月の解散ライブまで探し続けようと思う。
(2024.12.29 記)