見出し画像

立花はる×福島裕二 写真展

アトリエy恵比寿で10月13日から10月25日まで開催されていた 立花はる×福島裕二 写真展。
再訪、再々訪、毎週末通い詰めてじっくり観覧。

コスプレ畑の人は、キャラクターの世界観云々で自分そのものは撮らせない、見せたい自分しかカメラの前に晒さない人が多く、綺麗には撮れていても、私の見たい
「被写体の人となりや生き様、その時々の生の感情が浮かび上がるような写真」
になり難い傾向があるので、見る前は、正直なところあまり期待せずにいた。

それが、実際見てみると、どうも様子が違う。
韜晦が勝っている写真と、引き出しを開けるに任せた写真とが混在。
枠があったので、トークショーの当日券を購入。

立花はる×福島裕二トークショー

トークショーは、福島がゲスト作家として出品しているエイチ展4の中での催し。
エイチ展4は大人の文化祭と言った趣。
ルデコを3階から6階まで+地下1階。 全館借り切って写真やイラストetc...
動線がどうのこうのは、言うだけ野暮であろう。
混沌の中にのみ存在し得る、猥雑な面白さがあった。

立花はる×福島裕二 はトークショーの会場でもある6階に展示。
イベント会場にもなっているので距離を取って見られないのが難と言えば難だが、展示された作品は大きめのもので、見応えはある。
何時もとは逆に、恵比寿での展示への導入部のような印象。

トークショー。 時間としては長かったが、体感としてはあっと言う間。
以下、メモから。

福島
撮るのは99%女性なのだけれど、何を考えているか90%くらいは分かる。

肌がきれいとか、そう言うのは撮りたくない。 なのでモノクロ中心に。

顔合わせでどこまで出来るか訊くと「大事なところが出なければ大丈夫」
なぜ訊くのかと言うと、それが分かると撮るときにこちらで出来ることの選択肢が大きく広がるから。

感情の揺らぎが撮りたい。息を止めて貰ったり、負荷をかけることで表に出てくる。

撮るとき、被写体との距離は一定。 写真の上での寄ったり引いたりはレンズの焦点距離・画角で調整。

今回使ったのはライカ。 モノクロームとQ2、カラーはM10R。
ライカは写り過ぎるカメラ。 何を使っても撮れるので、その時良いと思ったものを使う。
これは仕事か作品撮りかでも異なる。
次の作品撮りはフィルムカメラになる。

作品撮りは皆さんに見せる為のものではなく、全て彼女の為。
彼女の為が自分の為にもなる。
一番良い写真は見せない。

仕事と作品撮りは別。
仕事で撮る写真はクライアントの意向やチェックもあるので、採用されないものは撮らないし、チェックが入ったらよいと思ったものでも引っ込める。

まつ毛の長さが影となって表れているカット。 これも仕事だと斜めから撮って、長さは見せつつ翳が落ちないようにする。
ただ、正面から撮った方が表情は捉えられるので、作品撮りではこう撮っている。

立花
前もって、どう撮られようとか、そう言うことは考えているが、終わると憶えていない。
(福島に)すべて委ねている。
「ゾーンに入る」と言うか、夢中で撮られていた。

立花はる×福島裕二 写真展

トークショーで福島が語っていた通り、その時々、見る側の心の状態によって、響く写真が変わる。
横に移動するだけでなく、振り返っても新たな驚きがあった。
横々々 縦 横々々々々、と並んでいる縦位置の写真のところで振り向くと、それに対応する大伸ばしの写真の正面になる。

長方形のギャラリーの南北の短辺に展示された大伸ばしの写真も、窓から光の入る南側は窓がバックになっている昼間の白衣装、北側の奥には暗がりで撮った黒のランジェリーのカット。
南側の写真はフレアがでたアウトフォーカスで、ピントは後ろの窓に縦に入ったワイヤーと窓の汚れに来ている。
これが気になって寄ってみてから振り向くと、北側の壁の写真が丁度良い大きさで目に入る。
見る度に何かしら発見があった。

画像3

衣装は4点、リネンっぽい大きいサイズのシャツ、濡れTシャツ(白)、黒のレースのランジェリー、ノースリーブニット。

ノースリーブニット
色香溢れる写真として福島が挙げていたのが、恵比寿でも展示されていたノースリーブニットのカット。
オフショット的に、マスクも着用して目を瞑り気味にダブルピース。
肌は隠しに隠した写真なのだけれど、身体の線は見せている。
隠すことで見えてくるもの、選択的に見せているもの。

濡れTシャツ
衣装も含めて全体が濡れているのに、前髪の根元部分のみ乾いている。
不思議に思ったので質問してみたところ、うつ伏せから入って仰向けになったところらしい。
うつ伏せになるよう指示を出したところ、予想外に思い切り良く入ったので全体が濡れている。
このエピソードに象徴されるように、肚を括ってからの思い切りが非常に良い。
しかしまた、肚を括るまでの戸惑いや逡巡、隠そうとして隠しきれていない心の揺らぎが表情ではなく仕草に現れるのがまた良い。

リネンっぽいシャツ
トークショーでの説明では、リネンっぽい大きいサイズのシャツはテスト撮影の時のもの。
この時は衣装のみ用意されていて、メイクとヘアメイクは自前。
テスト撮影と言うこともあり、布面積も多く透け感もないのだけれど、私はこの衣装での一連のカットに心惹かれた。 肚を括るまでの過程が現れている。

撮影するときの被写体との距離は一定と言うのが利いているのだと思う。
「敵ではないですよ」と言うのを態度で言葉で示しながら一定の距離を保って慣れさせる。
撮られる側からすると、迫られたり引かれたりしない訳で、心乱される要因が減る。

黒のレースのランジェリー
恍惚と不安が併存しつつ、カットごとにバランスが変わる。
見る者の胸倉を掴んで、こちらの感情迄揺さぶるような、撮られ手と撮り手の息詰まる鬩ぎ合い。

信用させておいて一寸だけ裏切る。 しかしその裏切りは写真の上りの良さで納得して貰う。
そんな撮り方をする撮り手が私は好きなのだけれど、福島は騙さないし、裏切らないし、掠め取らない。
負荷は掛けるけれど出来ない無理は要求しない。
これは「一寸だけ裏切る」より難しいし、それで質を保てていることにも驚かされる。

立花はるが被写体として素晴らしかった。
表情や仕草の引き出しは多いが、寄木細工のように手順を踏まないと開けられない、開けさせない。
肚を括ると化けるのだけれど、そこに至る過程で見せる心の移ろい、戸惑いや迷いまでもが絵になる。
例えば表情では平静を装いつつ、膝を抱えた右手の親指が人差し指にグイと食い込むように握り込まれていたり。

指をまっすぐに伸ばしているカットが少ない。 何かを掴むようであったり、触るようであったり、支えるようであったり。
意識して伸ばさない限り、指は内側に軽く曲がるのだけれど、無意識の状態に何らかの意思が乗った感じで、仕草に感情が現れている。

撮影者の腕だけでなく、人格人品まで問われてしまい、それが鏡のように写真に出てしまう。
「ゾーンに入る」と形容していたが、福島がそこまで導けたから撮れた写真ではあったように思う。
(介添がなくてもゾーンに入れるかどうかが、今後もこの仕事をしていく上での課題と言えるかもしれない。)

見せたいけれど隠したい、見られたいけれど見られたくない、分かって欲しいけれど分かった気になって欲しくない、読み解いて欲しいけれど解釈はされたくない。
etc...、素直ではないが正直ではある。 性格として江戸前。

画像1

様々な色が混ざり合うことで白い光となり、黒い翳となるように、幾つかの感情が混ざり切らずに併存、どうとでも解釈できる表情、モナ・リザの微笑。
綺麗は汚く、汚いは綺麗で、お砂糖とスパイスと、素敵ななにもかもで出来ている。
そんな立花はるが見られた、素敵な写真展だった。

図録はともかく、複製ボラまで購ったのは初めて。
帰路、駿河台下の文房堂に寄ってフォトフレームを購入。

画像2

(2020.11.01 記)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?