見出し画像

黒木麻恵 写真展「中田島砂丘」

小伝馬町の MONO GRAPHY Camera & Art へ。

ステートメント

浜松駅前にある周辺地図でその存在を知り、初めて中田島砂丘を訪れたのは2004年のことです。
強い風が吹き、砂地を歩くことは想像以上に体力を奪いました。
美しいけれど、決して居心地が良いわけではありません。しかしその後、度々訪れることになります。
なぜ何度も訪れることになったのか。
行く度に写真を仕上げても、納得のいくものが出来なかったからです。
畏れさえ感じる美しいその場所での記憶を、なんとしても再現したかったのです。
プリント技法には鶏卵紙を選びました。
やっと記憶を再現することができました。
これは私が見た、中田島砂丘での16年間の記憶です。

中田島砂丘で撮ったモノクローム作品15点。
全て鶏卵紙へのプリント。
古典技法であり、鶏卵紙は市販されているものではないので、作品は印画紙から作り出す必要がある。
均質になるように心掛けつつも、家内制手工業のブレからは逃れられないし、プリントも仕上げも難しい。
12点の美麗な作品を産みだすには、相当な時間と労力を要したと思われる。

水面の波紋、砂丘の風紋、「危険注意」の三角旗。
吹いている風は、視覚的には感じられるが静かな写真。

地平線が画面を分割する位置がそれぞれ異なるものを縦に並べたり、一枚一枚見た後、引きで見ると群体として別の見え方をして来る。

寄ってつぶさに見たいもの、離れて眺めたいもの。
寄ったり引いたりしているうちに、目の中で篩に掛けられ、分けられて行く。

つぶさに見たいものに寄り、引いて眺める。

黒と白のはっきりした当世風モノクロームではなく、濁った黒とくすんだ白、そしてその間にある色で描かれた物。
純白は無く、くすんだ白とくすんだ灰色の間に豊かな諧調がある。

私は小学5年生の時に父が買ってきた雑誌の巻末に載っていた桑原甲子雄で写真の面白さに目覚め、桑原甲子雄に木村伊兵衛が勧めたと言う逸話からウジェーヌ・アジェを知り、写真集を買い漁ったのだけれど、その中に掲載されていた赤茶けた薄い(ように見えた)オリジナルプリントが「鶏卵紙のプリント」との出会いだった。
ベレニス・アボットが解釈して焼き直したプリントとは全く異なる、淡い夢のような、しめり気の少ない、確かで不確かな情景。

黒木麻恵も、鶏卵紙プリントとの出会いはアジェだったようだ。
(購った写真集の色合いは、私がアジェの写真集の中で出会ったそれに似ている。)

白と白寄りの灰色との間を描き出せる鶏卵紙は、黒木麻恵の記憶の中の砂丘を描き出すのに最適だったのだと思う。

これで中田島砂丘で撮り続けた連作は一と区切りと言う事であるようだ。
次はどんな作品世界を見せてくれるだろうか。

(2024.09.08 記)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?