断章 なにものにもなれなかった君へ
世界の真理をあげてくれといわれたら,あんたなら何をあげる?
起こっちまったことはもう元には戻せないこと。
後悔はする前からわかることが多いこと。
それでも,人間は後悔を抱えて生きていくんだってこと。
それっぽく言やあ,なんだって真理になる。
面白い実験があってな。宅配ピザを頼んで,アルバイトに配達してもらう。住所どおりにやってくると,そこは協会というか奇妙な宗教団体のいる場所になっている。
そこで信者に扮した仕込み人たちは,あらかじめ用意しておいたそのアルバイトそっくりな肖像画を掲げて,「あなたこそ我々が待ち望んでいたお方だ!」とこぞってすり寄る。
当然,アルバイトの彼は驚き戸惑うわけだが,悪い気はしないものだから,丁重にあつかわれているうちに,次第に気分が乗ってくる。
そこで仕掛け人たちはターゲットの彼にこう言うわけだ。
「ぜひ,迷える我々にひと言でよいので人生の道をお示しください」とね。
するとほとんどのターゲットが,声を落として,それらしい顔つきで重々しく,人生とは何かを語って聞かせるらしい。
誰にでも一家言あるし,こうして人間をやってるおれたちなら誰しもが,人生とはなにかっていう深遠なんだか上の空なんだかよくわからない命題に対して,思うことがあるわけだ。
もう一つ例えばの話をさせてくれ。
たとえば書き物の締め切りを抱えていたとする。あと15分で期日が来てしまうが,とはいえ,まだ一文字も描けていない。それは連載ものだ。鮮度が命,定期に出すことがなによりの目的であるのだ。
さてどうする?
どうしようもないわな。
頭に浮かぶのは言い訳ばかりで,他人にとっては泣き言でも,本人にとってはやむにやまれぬやんごとなき事情なわけだ。
しかし締め切りは迫る。
時は待ってくれない,ってのも世界の真理に加えとくか。
起きちまったことは変えられないが,実は,これから起こることなら変えることができるし,起きた事実に対する解釈をあとから加えることは,実はこの世界のルールに残された数少ない抜け穴だ。
とくにインターネットってのは便利なもので,たとえ後から修正を加えたとしても,まるではじめからそうだったかのような顔をして,平気で情報をのさばらせることができる。それができるかどうかがアナログとデジタルの分け目でもあるかもしれないな。
とはいえ,だ。
この例え話において,怒っちまった出来事に対するおれのアクションはただ一つ。祈ることだけだ。そう,祈りをささげようじゃないか。
本当ならひとつ話が先に進むはずだった時間と,場所,空間にたいして,それが生まれることのできなかった悲劇に心を打ち,そして祈りをささげよう。
なににもなれなかった君にたいして,な。
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