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推しの師匠、千賀滉大。②

こんにちは。さつきです。
千賀滉大第2弾の前に横浜が優勝を決めたので、先にそちらを投稿しました。→『青の下剋上。』
本日やっと第2弾です。

千賀滉大の主な経歴(さつき調べ)について→『推しの師匠、千賀滉大①
(※①、②ともに情報のソースはwikipediaやYouTube等複数メディアとなります。気になる部分がありましたらお問い合わせください。)

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強豪校ではなかった野球部から、福岡ソフトバンクホークスに育成4位指名。
自らのことを「底辺中の底辺だった」「80人いる育成選手の中で81番目だと思っていた」と語る。
入団当初は、トレーニングについていけなかったと本人も語っているし、当時のコーチ倉野信次氏も「とにかく体力がなく、みんなと同じメニューが消化できないくらい」と言う。

しかし、「3軍の厳しい練習後にウエイトトレーニングをしていた(甲斐拓也)」「遠征先でみんなが食事に行く時でも、遅くまで自分のやるべきことをしていた(牧原大成)」「寮の食堂で1人で遅くまでいて、ご飯をたくさん食べようとする姿を毎日見ていた(柳田悠岐)」という同期入団の話からも、千賀は足りないものを自ら考え、補う努力を怠らなかった。
スカウト陣に見出された体格や身体能力、ポテンシャルがあるから1軍で活躍できるわけではないのだ。
もっているポテンシャルを磨く能力や精神力があってこそ。
かつて、イチロー氏も言っていた。「何も練習してなくて打てるなら、それこそ本物の天才ですよ」
私は野球経験者ではないので「そんな人がいるわけない」と言い切れない。
全球団の1軍の選手に聞いてみたい。プロの第一線で活躍する選手に練習せずに打てている選手がいますか?と。

千賀の武器であり代名詞でもある「お化けフォーク」という言葉は、故・野村克也氏が2013年に千賀のフォークを賞賛した言葉が最初ではないかと思われる。
打者が変化に反応できる位置までは速球に見えて、そこから急激に変化する「魔球」であることからそのように名付けられた。
しかし広がりを見せたのは、2016年WBC強化試合の時に「お化けフォーク」は石橋貴明氏が初対面の時に発した言葉からではないだろうか。
ちなみに、現在千賀が使用しているグラブのウェブにはゴーストが刺繍されている。
この「ゴーストグラブ」はZETT社のデザインの方々が作ったそうなのだが、メジャーで大きく取り上げられ、話題となった。
フィリーズのブライス・ハーパーが千賀にオバケグラブをおねだりしたそうだ。
野手のハーパーはそれまで他の選手からバットをもらったことはあったそうだが、「このグラブはすごく欲しかったんだ」と、初めてピッチャーからグラブをもらったという。
ちなみに千賀はハーパーに「何か欲しいものある?」と言われ、千賀は「もらえるモンは全部もらっておこう」と、ユニホームとバットをもらったそう。
MVPを獲った年のものであるというから、おそらくハーパーが2021年に使用していたものだろう。

千賀が最初にメジャーを意識したのは2017年だったという。
WBCで、ドジャー・スタジアムで投げた時「ここ(メジャー)で野球したい」と心惹かれた。
「とにかくすごい奴に投げたい」という漠然とした夢だった。その2017年から、千賀は球団にポスティングシステムでのメジャー移籍を直訴していた。
しかし球団側が認めず、千賀は日本に残留し続けることになる。
漠然とした想いから、明確に想いに変わっていく。想いは行動を変える。行動が変われば結果が変わる。
自分が結果を残せば残すほど、メジャーへの想いが強くなっていったに違いない。

千賀はかつて「うまくいかない時でも雑にならないように、自分のやることだけに目を向けて変わらずにやっていく大切さ、悪い時でも良い時と同じ気持ちで練習に向かうことが必要だと思っている。」と語っており、有言実行していた。

しかし、日本最終年となった2022年シーズンを振り返り、千賀はこう言った。「勝っても負けても感情が揺るがなくなってしまった。嬉しいとか悔しいとかの感情が無だった。」

「無」の感情で、日本で腕を振り続けるエースの苦悩と渡米―――次回、完結編。

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#千賀滉大 #すごい選手がいるんです

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