推しの師匠、千賀滉大。③
【これまでの記事】
千賀滉大の主な経歴(さつき調べ)について→『推しの師匠、千賀滉大①』底辺中の底辺だった育成時代、メジャーへの夢→『推しの師匠、千賀滉大②』
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かつて「うまくいかない時でも雑にならないように。悪い時でも良い時と同じ気持ちで練習に向かうことが必要だと思っている。」と語り、有言実行していた千賀滉大。
しかし日本最終年となった2022年シーズンを振り返り、千賀はこう言った。
「勝っても負けても感情が揺るがなくなってしまった。嬉しいとか悔しいとかの感情が無だった。自分でも最低だったと思います。」
メジャーへの挑戦ができない日々を送る中で、野球をしている意味や意義がわからなくなっていたのかもしれない。
ポスティングでメジャー移籍で自分より先に海を渡っていく選手を横目で見ながら、想いを打ち明けられる相手もおらず、苦しんでいた。
誰かにメジャー挑戦について質問されても「聞かないでくださいよ~」と誤魔化していたという。
(千賀はこの悩みをわかる人はいない、と言っていたが、恐らく同じポスティングで読売某球団がゴネていた上原浩治氏はわかってくれる気がする。)
しかし2022年オフ、FA権を行使し、ついに海を渡ることになった。
ニューヨーク・メッツ背番号34、千賀滉大の誕生だった。
千賀はメッツ入団当初、シャーザー、バーランダーと一緒にプレーしている。
2人について、「質問したことに対して、常に野球のことを考えているんだろうな、というのが伝わってくる」「ここまでの人たちがそこまでやっているっていうのが凄いと思った」と話す。
まだメジャー球に慣れず苦労していた時、シャーザーもバーランダーもベンチでずっとボールを触っているのを目にした。
それ以来、千賀選手もずっと触っていたという。
余談だが、ピッチコムでサインが合わなくて、投球動作に入ってから首を振り、投げる直前にサインが合い、頷きながらリリースする、ということもあったという笑い話もある。
東海岸はファンも熱く、マスコミも辛口である。
また、メッツはチームメイトが厳しく、契約金の額と活躍を天秤にかけて品定めをするという噂も耳にする。
ニューヨークで野球生活を送るプレッシャーは、凄まじいものであると想像する。
しかし、夢を追いながら実現できなかった期間を思い出せば、乗り越えて行けるのではないかと信じている。
千賀がまだ入団前、ニューヨークの街を眺めながら言った言葉がある。
「今の時点でハッピーだからこれ以上あるんかな」
7年という長い年月あたため続けたメジャーへの想いと、それまでの苦悩や葛藤が、まだマウンドにも立っていない瞬間のその言葉に凝縮されている。
推しは、2024年5月6日の西武戦で師匠の千賀からもらったグラブを使用した。
そして3月30日以来の2勝目を掴んだ。
シーズンが開幕して1ヶ月程成績が落ち込み、悪い流れを断ち切りたいとの思いから、その日は千賀にもらったグラブを使用したのだった。
2019年の自主トレで千賀からプレゼントされたグラブ。
その赤いグラブは推しにとって宝物で、自宅に飾っていたものだった。
私は、推しは「推しの師匠ごと」推す覚悟でいる。
メジャーで野球をしている喜びや幸せを噛み締めながら、腕を振ってほしい。