2022年の終わりの前に
思った事を皮肉も込めてただ呟いているだけのnote、最近始めたばっかりですが、一丁前に思う事があります
過去の色々な事を忘れてしまう前に少しずつ記録していこうかと思ってましたが、あまり明細に思い出して書いてしまうとそれはそれでしんどいという事
つらくて自然と忘れていた事をほぼ無理矢理思い出して書き出すのは、分離してたはずの“感情”と“事実”が混ざり、当時を再体験してしまうような気がするのです
私の忘れると言うのは、コンロの火を消し忘れたり、ご飯何食べたか思い出せなっかったり
ここまではよくある物忘れの例かも知れないですが、私の場合、こんなつらい事があったと言う“事実”は覚えているけど、その時こんな事思ったとか“感情”が思い出せない、もしくは何も思わないだったり
怖いとかつらいとか本能が逃げなきゃいけないとか“感情”でがんじがらみになっているのに、こうなった経緯とか原因の“事実”が分からないとか、“感情”と“事実”の相互がありました
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」で例えると
喉に熱い物が通った
でも熱いとか痛いとかは思わない
逆に、喉が熱くて痛くて苦しい
けど喉に何が通ったのかと原因を探しても覚えていない、分からない
誰かに相談したいと思って「しんどいんだ」と言っても「何があったの?」と聞かれた時に「あれ、何があったんだろう」と、どうしようもない状況になる
これは病院で診察してもらう時にも起こった事
「どうせ忘れちゃうんだから良いじゃん」と言われた事もあったけど、忘れたからって解放される訳じゃないし、悩みが腑に落ちた訳でもない
原因不明の何かに縛られている苦しさだけがはっきりしている
ただ、それでも“忘れる”という事は立派な自己防衛なので救われていた点はあるにはある
もしずっと“事実と感情”が一緒にいたら四六時中しんどい思いをしてなくちゃいけない事になる
想像したくない
本当に一長一短
今さっきに限った話ではないのになぜ年末をタイトルに持って来て今これを書いているのかというと、特に理由はないが、強いて言えば年末のご挨拶をしたかったのかもしれない
今年は喪中で新年の挨拶ができないし、誰がこれを読んでいるのか分からんが誰かに言っておきたい気持ちがあったのかもしれない
2022年今年もお世話になりました
来年もよろしくお願いします