まったくの杞憂だった〜宝塚歌劇団雪組『二十世紀号に乗って』
2019年3月26日に宝塚歌劇団雪組公演『二十世紀号に乗って』を見た。
ベン・ヘクトとチャールズ・マッカーシーの芝居およびハワード・ホークスの映画『二十世紀号』を元にした、1978年初演のブロードウェイ・ミュージカルである。
脚本・歌詞はベティ・コムデン&アドルフ・グリーン、音楽はサイ・コールマン。初演の演出はハロルド・プリンスだった。
初演以降ブロードウェイで再演されることはなかったのだが、2014年にピーター・ギャラハーとクリスティン・チェノウェス主演で再演された。
舞台は1930年代。シカゴからニューヨークまでを16時間でつなぐ特急列車「二十世紀号」に、破産寸前の演出家オスカーが部下とともに乗り込む。途中駅で乗ってくる映画スターにして元恋人リリーと契約を締結し窮地を脱するためである。しかし、リリーはオスカーを歯牙にもかけない。しかもリリーは新たな恋人ブルースを連れている。リリーの気を惹く企画をたてなければ破産まっしぐらのオスカー。題材は?出資者は?ニューヨーク到着までにオスカーは再びリリーと組むことは叶うのか?
わたしはブロードウェイ・ミュージカルを研究対象としている。
現在は特に、ベティ・コムデン&アドルフ・グリーン脚本・歌詞の作品について取り組んでいる。
2014年にニューヨークに滞在していた時、『オン・ザ・タウン』と『二十世紀号に乗って』がちょうど立て続けに再演されて興奮したのを覚えている。
そして2019年、宝塚歌劇団が『オン・ザ・タウン』と『二十世紀号に乗って』を立て続けに上演している。
『二十世紀号に乗って』は、スクリューボール・コメディの凄まじいテンポの速さと緩急、恋愛の力学を見事にミュージカルの文法に置き換えた作品だとわたしは考えている(手前味噌で恐縮だが、このことについて論文を書いた)。
コムデン&グリーン作品の中では三本の指に入るくらい好きである。
音楽的な面でいえば、むちゃくちゃ難しい作品でもある。
早い、推移が細かい、レンジが広い。
サイ・コールマンの才気が迸りすぎている。
再演版を見た時、あのピーター・ギャラハーとクリスティン・チェノウェスでさえ、やすやすとは歌えていなかった。
なので宝塚で上演するとニュースを聞いた時、正直最初は不安になった。
熱心な宝塚ファンではないので、上演する組の実力がどのようなものか知らなかったからである。
わたしの不安など全くの杞憂であった。
あの猛烈なスピード感、難易度の高い歌、スラップスティックな身体動作を、出演者一同が体現していた。
なにより、トップ二人の技術の安定度と魂の伴侶的相性の良さが、今回の『二十世紀号に乗って』を何段も引き上げてくれていたと思う。
スクリューボール・コメディはじめとしたロマンティック・コメディでは、メインカップルとなる二人は「魂の伴侶」であると、作品の序盤から終盤に至るまで明示的にも暗示的にも示されることが重要である。
どんなに反発していても、どんなに拒絶していても、どんなにすれ違っていても、「あ、この二人は結ばれる」という予感で満ち満ちている時、そのロマンティック・コメディは成功である。
雪組トップの望海風斗と真彩希帆は、こじれにこじれた先に結合が訪れるという予感を、あくまで予感として表すことができていた(わかりきっていたら興味は削がれるので、予感であることが大事である)。
演出については、反復描写をいくつか削っていることが残念だった。
元の脚本および2014年版では、オスカーがリリー説得のために行動を起こそうとする瞬間に、乗客や車掌がオスカーの客室にやってきて「芝居の脚本を書いたから読んでほしい」といきなり歌うという場面がある。それも三回も。
宝塚版では、二回に削られていた。
『オン・ザ・タウン』同様、『二十世紀号に乗って』では、16時間というタイムリミットの中で障害と妨害をくぐり抜けてオスカーが目的を達成できるかがひとまずのミッションとなっている。
「脚本を読んでほしい」という歌は、天丼効果を狙ったギャグとしてだけでなく、オスカーの出足をくじいて妨害するという機能も果たしているわけなので、削らないでほしかった。
そういえば、『オン・ザ・タウン』の感想にも反復については似たような感想をかいた。
本編終了後にショーのパートが入れるという慣習ゆえに、本編で削れるところは削る、という方針なのだろうか。
だが、それはミュージカル作品の根幹をなす声(voice)を塞ぐことになりかねないので、わたしは賛同できない。