メリー・ポピンズはパディントンではない〜『メリー・ポピンズ リターンズ』

2019年2月20日に『メリー・ポピンズ リターンズ』を見てきた。

いまさら言うまでもなく、『メリー・ポピンズ』の続編である。
時代は大恐慌時代のロンドン。バンクス家の子どもたちは大人になり、ジェーンは労働運動活動家として、マイケルは画家であることを諦めて銀行の臨時職員として日々を生きている。マイケルは妻ケイトを亡くしたばかりに加え、融資返済期限超過による立ち退きを警告され途方にくれている。マイケルの三人の子どもたちは助けになろうとするが、生活はうまく回っていかない。そこに風にのってメリー・ポピンズが帰ってくる…。

今作のメリーは、父や伯母と並んで「大人たろう」と肩肘はる双子のジョンにアナベル、天真爛漫な末っ子ジョージーの世話を引き受ける。そんな子どもたちへのメリーの最初の教えは、「想像を働かせて、遊ぶこと」である。
泡いっぱいのバスタブの底には海がひろがっていること、海賊船が沈んでいること。固い底面を一旦棚上げにして、想像を膨らませることをメリーは教える。
「家計を助ける」「生きていく」、そのために最短で手近な手段をとろうとする子どもたちに、余剰で無駄で、風変わりで突飛であることでもたらされる豊かさをメリーは伝える。

この教えは、ミュージカルという手法と非常に相性が良い。
三谷幸喜の『オケピ!』や『サムシング・ロッテン!』などでも散々つっこまれてきたことが、「ミュージカル」と「合理性」の食い合わせはよろしくない。
「一言で済むメッセージを5分かけて歌う」「まっすぐ歩けば5歩で済む距離を行きつ戻りつ踊って進む」などなどなど...。
だが、時間とエネルギーを潤沢に投入することに、ミュージカルがミュージカルとして魅力を放つ所以があるとわたしは考えている。大盤振る舞いであればあるほど、嬉しい。わたしたちを縛り規律させてくる時間秩序や規範からの、一時的かつかりそめの解放が得られるからである。
このように考えると、メリーの最初の教えは、バンクス家の3人の子どもたち(とわたしたち観客)にミュージカルの理念を伝えるものになっていたのである。

だが『メリー・ポピンズ リターンズ』は、冒頭で打ち出される「ミュージカルの理念」をメリー自身が裏切っていく。
映画が進めば進むほどに、メリーの教えは人生訓になっていく。
たとえば"A Cover Is not a Book"では、ミュージック・ホールの出し物という形で「見た目ではなく中身で判断しなければならない」という説教が歌われる。3コーラス分の時間をたっぷりと取られ、歌唱スタイルも様々取り混ぜられ、耳目に嬉しいナンバーなはずなのに、歌詞はひねりのないど直球に教育的メッセージだ。
かの有名な「スーパーカリフラジリスティックエクシピアリドーシャス」ばりのキャッチーな言葉で歌を引っ張っていったら、説教くささは薄れたろうに。

むしろ、この映画の叙述自体が、冒頭で打ち出される「ミュージカルの理念」をサクッと裏切っていく。
本作だけでなく前作も巻き込んで鮮やかに伏線を回収していくその手際の良さ。「時間」と「金銭」を軸にした、無駄のないサスペンス。
『メリー・ポピンズ リターンズ』はミュージカルという形式の持つ余剰や無駄であることの豊かさに一度は接近していた。だが、それはたまたまナンバーのメッセージと歌というパフォーマンス・モードがマッチしていたことで生じる接近でしかないのだろうと感じた。
サスペンスや伏線回収から離れた数少ないナンバーとして、街灯点灯人たちが歌い踊る"Trip a Little Light Fantastic"はいれられるかしら...。だがそれも前作の"Step in Time"に比べたら、歌詞はやはりメッセージに満ち満ちている。("Step in Time"では「理屈なんていらない」と歌っているのである。)
このように、映画としては歌やダンスはメッセージ伝達の便利な手段と位置付けられているのだろうと見ていく中で感じた。そして、それはとても残念なことだと感じた。

伏線回収の手際のよさ、展開の小気味良さ、ベン・ウィショーということで、『メリー・ポピンズ リターンズ』はデジャヴュを感じさせた。
『パディントン』シリーズへのデジャヴュである。
『パディントン』シリーズは、ぱきぱきと歯車を噛み合わせて驚くほどキビキビと進んでいく。あのスピード感は心地よかった。
思えば、『パディントン』も『メリー・ポピンズ』も、外からやってきた存在が硬直しがちな人々を引っ掻き回して柔らかくほぐしていく。
だが、メリー・ポピンズはパディントンではない。
パディントンは最終的に家庭やコミュニティの中に迎え入れられ、家庭やコミュニティのあり方自体を変容させる。
他方、メリーは家庭やコミュニティの中に永住しない。だからこそ、マイケルとバンクス家に影を落とす「時間」と「金銭」のサスペンスから距離をとり、余剰や無駄の豊かさを示すキャラクターとしてのポテンシャルを有しているはずなのである。
『メリー・ポピンズ リターンズ』は『パディントン』ではないのである。

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